思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ ちいさい秋みつけた

http:// https://www.youtube.com/watch?v=wtUNRjF7nQA

 

作詞:サトウハチロー 作曲:中田喜直

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ
すましたお耳に かすかにしみた
よんでる口笛 もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた


誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
お部屋は北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた


誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
むかしの むかしの 風見の鳥の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉あかくて 入日色(いりひいろ)
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

 9月も終わりというのに、日によっては30度前後にも気温が上がったり、朝夕は20度を下回ったりと、体の方がついていきません(笑)
 しかし、田んぼの稲を見ると着実に季節は進んでいることがわかります。

 

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 一月ほど前だったでしょうか、コーラスグループ「ボニージャックス」のメンバーで長身で眼鏡、温和な笑顔が印象的だった西脇久夫さんがなくなられたというニュースに接しました。
 我々世代には、ダークダックス、デュークエイセスと並び、その歌声は今も耳の奥に残っています。
 中でも、この時期になるとよくテレビラジオから流れてきたのが、この曲でした。
  今回取り上げたのは、この曲が好きだったというよりも、歌詞が子供心によくわからなかった、不思議だったというのが主な理由です。
 ネットで曲名で検索してみると、検索の候補に「小さい秋みつけた 怖い」などと曲名の後に勝手に色んな言葉がくっついて現れます。
 私の場合は、「怖い」とは思いませんでしたが、不可解な歌詞が、次のように二番・三番に出てきて、逆に印象深かったのでした。(昔から詩的想像力に乏しかったのでしょう)

二番
   お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色 とかしたミルク わずかなすきから 秋の風
   ※「うつろな目の色→とかしたミルク」 意味のつながりが不明
 三番
    むかしの むかしの 風見の鳥の ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
   ※「風見鶏」も知りませんでしたが、「ぼやけたとさか」とは?また、そこに「はぜの葉」とはどういうこと?

 1955年にNHKの特別番組『秋の祭典』の楽曲の1つとして作曲され、伴久美子がソロで歌った。番組内限定の曲であり、当初はレコード化されなかったが、1962年にキングレコードのディレクター長田暁二が合唱に最適な曲として見い出した。ボニージャックスの歌唱でレコーディングされ、LP『サトウハチロー童謡集』(品番:KH-53 / SKH-8)に収録された。同年末の『第4回日本レコード大賞』で童謡賞を受賞した。
曲題についてはいくつかの表記揺れが発生しているが、JASRACに登録されている正題と『サトウハチロー童謡集』での表記は「ちいさい秋みつけた」である。
1965年以後、小学校・中学校・高校の音楽の教科書にたびたび掲載されている[1]。日本の歌百選。(Wikipedia

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サトウハチローWikipedia

サトウハチロー 1903-1973
 本名は佐藤八郎。弘前出身の人気作家、佐藤紅緑の長男として東京で生まれた。祖父・弥六から見て八番目の孫という理由で八郎と名付けられたという。クリスチャンだった母ハルと、音楽家を志していた姉喜美からの感化は、ハチローが詩人・童謡作者として名を成す上で基盤となった。少年時代は父の紅緑も手を焼く暴れん坊で、勘当され小笠原諸島父島の感化院行きを命じられたこともあった。実際には感化院には入らず、かねてから佐藤家に出入りしていた福士幸次郎と共同生活し、読書の日々を送った。その後、幸次郎の紹介で西条八十に師事。大正十年以降、諸雑誌に童謡や童話を精力的に発表する。筆名サトウハチローを用いるようになったのは大正十三年頃からで、群馬県に佐藤八郎という同姓同名の詩人がいたことがきっかけであったという。昭和に入って、流行歌の作詞者として活躍。戦後、大ヒットした「リンゴの唄」もハチローの作である。その後、童謡に本腰を入れ、「ちいさい秋みつけた」等の名曲を多数生み出した。晩年には、テレビドラマと連携して詩集『おかあさん』を刊行。多方面で活躍した、才能豊かな詩人であった。 青森県近代文学館   https://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top/museum/sato-hachiro.html

 歌詞の意味や背景を解説してくれているサイトがありました。

「世界の民謡・童謡」http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/chiisaiaki.htm

○幼児期に大やけどを負ったサトウハチロー
 『ちいさい秋みつけた』作詞者のサトウハチローは、3歳ごろ熱湯で脇腹に大やけどを負い、数年間病床に伏せっていた。
 火傷(やけど)は大きな後遺症となり、ハチローは母親ハルの背中に背負われて小学校に通ったという。
 体の不自由さもあり、ハチローは家にこもりがちだった。クリスチャンだった母親は、そんなハチローをよく教会に連れて行ったという。教会の屋根には風見鶏(かざみどり)があった。
 『ちいさい秋みつけた』の歌詞には、これら作詞者による幼少期の体験が色濃く投影されていると考えられる。
  続きはホームページで・・・

 サトウハチローの幼少期のことを詳しく書いてくれていて、これからもこの曲を聴くたびに、そのことが思い出され、確かに美しい旋律ではあるのですが、素直には楽しめないのではないかと思ってしまいます。

 なお、あの長崎の鐘もこの方の作とは意外でした。

 さすがは、自らを『詩のデパート』と評した西条八十氏のお弟子さんだけのことはあるなと、変に感心もしたようなことでした。

♪ 「軍艦行進曲」

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海上自衛隊ホームページより

【音楽】 行進曲「軍艦」 ~海上自衛隊東京音楽隊~ - YouTube

 

 夕食後のYouTube三昧の日々が続いていますが、たまに気分が晴れないときなどは、この「軍艦行進曲」を色んな団体の演奏で聴いています。

 俗に「軍艦マーチ」とも言われ、その昔はパチンコ屋の店内から景気よく流れてきたこともあってか、また、戦争や軍国主義を連想させることもあってか、ずいぶんと誤解を受けている曲ですが、我が国を代表する行進曲の一つであることに違いはないと思っています。以下は海上自衛隊ホームページより。

軍   艦
作詞  鳥山    啓
作曲  瀬戸口藤吉

一  守るも攻むるも鋼鐵(くろがね)の          浮かべる城ぞたのみなる
浮うかべるその城日の本の          皇國(みくに)の四方(よも)を守まもるべし
まがねのその艦(ふね)日の本に        仇(あだ)なす國を攻せめよかし

 

二  いはきの煙は わたつみの        龍かとばかり靡(なび)くなり
彈丸(たま)うつひびきは雷(いかづち)の        聲かとばかりどよむなり
萬里の波濤(はとう)をのりこえて        皇國のひかり輝やかせ

  日本国内においてのみですが、「世界三大行進曲」「世界の名曲」と言われている行進曲「軍艦」を〝日本人なら誰でも知っている!〟と言っても間違いないでしょう。しかし、意外と正確なことは知られていませんでした。

 「軍艦」には、行進曲「軍艦」、「軍艦行進曲」、「軍艦マーチ」と三種類の題名が使われています。海軍軍楽隊の演奏会のプログラム、レコードには、行進曲「軍艦」が圧倒的に多いことから、これが正式名称と言えましょう。一般的には「軍艦マーチ」で親しまれているようです。海上自衛隊儀礼では、制定時から「軍艦行進曲」となっていました。

 「軍艦」を英語表記で「Warship」としているものもありますが、帝国海軍では一貫して「Man-of-war」を使っていました。この単語は、かなりの英語の達人でも知らない古語のようです。

 「軍艦」の作者
 行進曲「軍艦」は、鳥山啓作詞、瀬戸口藤吉作曲の海軍軍歌「軍艦」に、大伴氏言立、東儀季芳作曲の「海行かば」をトリオ(中間部)として、行進曲にしたものです。

 

 

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「軍艦行進曲」のスコア(総譜)(海上自衛隊ホームページより)https://www.mod.go.jp/msdf/tokyoband/gallery/download/gunkan.html

 

 以前、「軍艦マーチのすべて」(1998/04/24 キングレコードより発売)というCDを買ったことがありました。

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【収録曲】
01.岩手県立盛岡第一高等学校校歌/同校応援團 
02.軍艦行進曲/海上自衛隊東京音楽隊 
03.軍艦行進曲/ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団 
04.軍艦行進曲/海軍兵学校出身者(斉唱) 
05.軍艦行進曲/海軍機関学校出身者(斉唱) 
06.軍艦行進曲/読売日本交響楽団 
07.ミャンマー・ドゥーイェ・タッマドウ(ミャンマー国軍)/ミャンマー国軍軍楽隊<斉唱付> 
08.軍艦行進曲(ハッセルマン編曲版)/海上自衛隊東京音楽隊 
09.軍艦行進曲(オリジナル変ロ長調版)/海上自衛隊東京音楽隊 
10.軍艦行進曲/海軍軍楽隊(初録音) 
11.軍艦行進曲/海軍軍楽隊(斉唱付) 
12.軍艦行進曲/東海林太郎(歌) 日本ポリドール吹奏楽団 
13.行進曲「軍艦」/奥田良三(歌) 海軍軍楽隊 
14.軍艦行進曲/徳山[王連](歌) 海軍軍楽隊 
15.軍艦行進曲/独逸ポリドール軍楽隊 
16.軍艦行進曲/海軍軍楽隊 
17.軍艦行進曲/伯林フィルハーモニック管弦楽団 
18.軍艦行進曲/巴里ムーランルージュ楽員 
19.軍艦行進曲(宮田東峰編曲)/ミヤタハーモニカバンド 
20.軍艦行進曲(中島雅楽之都編曲)/中島雅楽之都社中 
21.軍艦行進曲(和田 肇編曲)/和田 肇 
22.2台のピアノのための軍艦マーチによるパラフレーズ(中田喜直作曲)/久保浩/安藤友候 
23.軍艦マーチ(長津義司編曲)/バッキー白片/テイチクオーケストラ 
24.軍艦マーチ(寺内タケシ編曲)/寺内タケシ&ブルージーンズ 
25.ラグ・アンカタン・ラウト・ジュパン(日本海軍の歌)/イ・ワヤン・マドラ、イ・クトゥット・ムディナ 
26.軍艦マーチ/菊之家 

 それこそ多種多様な演奏形態が収録されているのですが、上述のように我が国を代表する曲として、諸外国でも演奏された音源があるのは貴重です。
   中に、「06 軍艦行進曲/読売日本交響楽団とありますが、これはあの三島由紀夫が指揮している動画がYouTubeにもアップされており、別の意味で貴重と言えるでしょう。

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昭和43年(1968)3月、読売日本交響楽団を指揮する三島由紀夫

 私が常々感心しているのは、これだけの曲(曲の作りや各パートの譜面はそれほど難しくありませんが)を明治30年(1897)という時点で、しかも作曲を音楽学校で習ったことのない一軍楽隊員が作曲したということです。

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生年
慶応4年5月10日(1868年)
没年
昭和16(1941)年11月8日
出身地
鹿児島県垂水市
経歴
明治15年に海軍軍楽隊に入隊し、作曲を始め、30年軍楽師時代、鳥山啓作詞「守るも攻むるも」の「軍艦」を作曲。33年「軍艦行進曲(軍艦マーチ)」と改作、春の神戸沖観艦式で初演された。また翌年「敷島艦」を作った。44年イギリス国王の戴冠式に軍楽隊を率いてヨーロッパ各地で演奏、大正3年海軍省が「海軍軍歌」を制作した時編纂に当たり「日本海海戦」「艦船勤務」を発表。「愛国行進曲」は昭和12年、70歳の時の作で、病気を押して書き上げた。他に「野球行進曲」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)

 

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2016年11月、陸上自衛隊福知山駐屯地祭での海上自衛隊舞鶴音楽隊。
「軍艦行進曲」を演奏しながらの入場。
このイベントでは、陸自、海自、二つの音楽隊が登場します。

 冒頭にも述べましたが、この曲に対する世間の偏見というものは根強いものがあります。
もう50年近くも前のこと。当時田舎の高校の弱小吹奏楽部で生徒指揮をしていた私(2年生)は、野球部の県大会予選(1回戦)が甲子園(当時の兵庫県では予選でも使っていました)で行われ、その応援にいくということで、張り切って(笑)選曲をしました。
 「闘牛士のマンボ」とか「巨人の星」(?)だとかに交じって、威勢のいい曲ということで、この「軍艦マーチ」を入れたのですが、既に引退していてお手伝いに来てくれていた3年生の女子からクレームを付けられた思い出があります。(結構キツい方だったという記憶があります)

 

※農村とはいえ、割と家が密集しているので、夏場など風向きによっては、ピアノの音、幼児の遊ぶ声、そして近年は中国語の会話(電話)などがよく聞こえてきます。
 逆に、我が家の音楽鑑賞状況(?)から、当人の思想傾向も想像されているかも知れません(笑)

♪ 夏の全国高等学校野球選手権大会『大会行進曲』

夏の全国高等学校野球選手権大会『大会行進曲』 - YouTube

 コロナ禍で1年伸びたオリンピックでしたが、なんとか無事に(?)終わりました。
 直後にやってきた台風9号の影響で、1日遅れで夏の甲子園大会が今日8月10日から始まりました。

 

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2019開会式


 開会式の行進曲は春のセンバツとは違い、毎年同じ曲が演奏されていますが、これが日本の音楽史上屈指の大作曲家・山田耕筰氏の作曲であるとは知りませんでした。
 小学生のころから、つい8年前(西脇工業出場時)まで、幾度も訪れた夏の甲子園ですが、開会式はテレビで観るぐらいでした。
 (娘が高校時代に所属していた放送部の仲間の一人が、開会式のアナウンスに抜擢されたときは、特に注目して観た記憶はありますが・・・。)

 

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山田耕筰(明治19~昭和40年・1886~1965)

 この曲は昭和10年(1935)の「全国中等学校優勝野球大会」第21回大会から使われているそうで、86年も使われているのですね。

 曲の雰囲気的には、何か昔のドイツの行進曲を思わせるようなところがあるように思います。
 米英独仏の行進曲の違いが言えるだけの知識はありませんが、重厚感の中に溌剌とした躍動感のある曲の作りと言えるのではないでしょうか。
 春のセンバツのほうは、例年ヒット曲をアレンジした行進曲が使われると対照的です。 

 それぞれの主催者(毎日と朝日)の意向によるものなのでしょうか?

 

 本ブログでは、一年余り前に古関裕而氏の栄冠は君に輝くを取り上げたことがありました(https://sf63fs.hatenadiary.com/entry/2020/07/21/181018
)が、古関氏と彼が師と仰いだ山田氏の曲が毎年、夏の甲子園に流れていたとは! 
 そのあたりのいきさつは、以下の記事が詳しく報じています。

www.nikkansports.com

 また、この曲に歌詞がついているのも初めて知りました。

「全国中等学校優勝野球大会行進歌」

   作詞 富田砕花

   作曲 山田耕筰

百練競える この壮美

羽搏(はばた)け 若鷹 雲裂きて

溢るゝ感激 迸(ほとばし)る意気

今日ぞ晴れの日 起(た)て男児

※掲ぐるほこりに 旭日 映えて

球史燦(さん)たり 大会旗

 

烈々火燃ゆる この闘志 撩乱 華咲け 技冴えて

溢るゝ感激 迸る意気

今日ぞ晴れの日 往け男児

※以下同じ

 

優勝確たる この飛躍

毅(つよ)かれ 若獅子を浴びて

溢るゝ感激 迸る意気

今日ぞ晴れの日 捷(か)て男児

※以下同じ

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富田砕花(明治23~昭和59年・1890~1984、芦屋市ホームページ)

 ※さすがに、これは戦前のイメージですね

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 https://www.youtube.com/watch?v=5YWmmZnnSfM

♪ 「ラジオ体操の歌」(藤山一郎)

www.youtube.com

平成4年(1992)80歳とは思えない若々しいお声

 

「ラジオ体操の歌」
藤浦洸作詞・藤山一郎作曲

 

新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三

 

新しい朝のもと 輝く緑
さわやかに手足伸ばせ 土踏みしめよ
ラジオとともに 健やかな手足
この広い土に伸ばせよ
それ 一 二 三

 

 

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戦後の昭和20年代の写真でしょうか?

 今朝、6時過ぎに起きて食堂のラジオをつけると、ちょうどラジオ体操の開始の音楽が流れてきました。

 自分が小学生のころには、まだ村に子供会もなく、自分たちの子どもたちが夏休みにお宮の境内でやっていたラジオ体操に行ったことはありませんが、この歌だけは知っていました。

 ネットで調べてみると、「ラジオ体操の歌」も、この歌で3代目だそうです。

「ラジオ体操の歌」
・初代   作詞:小川孝敏 作曲:堀内敬三 歌:内田栄一
 昭和6年(1931)8月
・2代目  作詞:脇太一 作曲:大中恩 歌:藤山一郎コロムビア合唱団
 昭和26年(1951)9月
・3代目  作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎、歌:藤山一郎コロムビアひばり児童合唱団
 昭和33年(1958)6月(郵政省簡易保険局・NHK制定)

 ラジオ体操の歴史については、

www.jp-life.japanpost.jp

 この歌については、耳にすることはあっても口に出して唄うことは、まずありませんが、明るく爽やかで、無理のない素直で伸びやかな旋律は、藤山さんの張りのあるバリトンのお声と共に、我々世代にはとても懐かしいものです。

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 また、ラジオ体操第1、第2ともに、著名な作曲家による伴奏が付けられています。

 前奏に誘われて、思わず体が動いてしまいそうになる、われわれ日本人の体の奥深くに刻み込まれた旋律とでも言うことができるのではないでしょうか。

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服部正作曲 昭和26年(1951)

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團伊玖磨作曲 昭和27年(1952)

 なかなか上手く表現できないのですが、前屈、後屈、ひねり、屈伸といった

様々な動きと音楽の絶妙な組み合わせによって、何十年経っても(指導者の掛け声はありますが)勝手に体が動いてしまうというあたりにも、ラジオ体操の素晴らしさがあるように思います。

 

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 作詞の藤浦洸さん(明治31~昭和54年・1898-1979)といえば、まだ白黒テレビの時代、NHKのテレビ番組「私の秘密」のレギュラーとして出演されていた、眼のギョロッとしたオジサンという印象が強いですね。

 氏の代表的な作品には、以下のような曲があります。

昭和12年別れのブルース」  唄:淡谷のり子  作曲:服部良一

昭和14年「一杯のコーヒーから」 唄:霧島昇&ミス・コロムビア 作曲:服部良一

昭和17年「南の花嫁さん」  唄:高峰三枝子  作曲:任光

昭和19年「月夜船」  唄:近江俊郎  作曲:古賀政男

昭和21年「別れても」  唄:二葉あき子  作曲:仁木他喜雄

昭和25年「東京キッド」  唄:美空ひばり  作曲:万城目正

昭和25年「水色のワルツ」  唄:二葉あき子  作曲:高木東六

  中でも、「水色のワルツ」はクラシック畑の作曲家・高木東六さんの格調高い旋律で、今も色あせない名曲です。大ファンの鮫島有美子さんの歌唱を聴くと、わたしなどうっとりとしてしまいます(笑)

 

※前回のアップから40日ほど経ち、連日の猛暑、酷暑の最中ですが、朝から爽やかな音楽に出会い、田んぼの草刈りもはかどりました。

♪ 「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」(アンジェラ・アキ)

手紙 〜拝啓 15の君へ〜【東京混声合唱団】混声4部合唱版 - YouTube

 

 

手紙 ~拝啓 十五の君へ~

アンジェラ・アキ

 

拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう 
十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです
未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう

今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
今を生きている

 

拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです
自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続けられば見えてくる
荒れた青春の海は厳しいけれど
明日の岸辺へと 夢の舟よ進め

今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
苦くて甘い今を生きている

人生の全てに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて
Keep on bilieving

 

負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を神事歩けばいいの?
ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう
今を生きていこう

 

拝啓 この手紙読んでいるあなたが
幸せな事を願います 

 いつかも書きましたが、夕食後はだいたいYouTubeタイム!きまったジャンルがあって、その日の思いつきで気ままに観ていますが、音楽では東京混声のコーラスが多いですね。
 中でも、最近繰り返し聴いているのが(あなたへのオススメとして出てくることもありますが)、この「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」で、この東京混声の演奏が大変気に入っています。コーラスの方は、本邦最高峰ということで、言うまでもないのですが、鈴木慎崇(よしたか)さんのピアノ伴奏は、第一音から魅了されるほどの素晴らしさ!!

※指揮のヤマカズさんといい、ピアノの鈴木さんといい、なんと言えないイイ表情ですね!

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手紙 〜拝啓 十五の君へ〜
 2008年のNHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲として書き下ろされた『手紙』(編曲:鷹羽弘晃)を自身の歌唱用にアレンジした曲(編曲は自身が担当)で、調はハ長調から変イ長調と課題曲より半音4つ分(長三度)低くなっている。曲は自分自身が15歳の時に自分宛に書いた手紙が、30歳の誕生日に母親から届いたことをきっかけに作られた。歌詞では15歳の「僕」が悩みを未来の自分に宛てて、“手紙”を書くことによって今を生きていくということを表している。(Wikipedia

  所属する「ほぼシルバー合唱団」でも、別の編曲でしたが、2.3年前に定期演奏会でこの曲を歌いました。
 そのときに感じたのは、高齢者には(若いときから楽器や歌をやっていた人は違うのでしょうが)、全体を通して繰り返し現れるシンコペーションの軽快なリズムに乗れないということでした。
 元々が、Nコン・中学生の部の課題曲ですし、15歳の中学生からは祖父母の世代に当たるわけですから、無理もないと言えないこともないのですが・・・(笑)

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赤丸のようなパターンが繰り返されます

 それにしても、こんな素晴らしい曲が課題曲であったというのはうらやましいですね。
 2008年といえば、25年余の長きにわたり、コーラスから離れていた期間のことで、課題曲になっていたとは知るよしもありませんでした。

 30数年前に高校の部の課題曲として、よく歌ったのは「さようならの季節に」(作詞:吉沢久美子、作曲:坪能克裕、昭和61年度・1986課題曲)でした。
 部員の中には、「これは自殺の歌だ」などという者がいたことも思い出されますが、これもたまにYouTubeで視聴しますと、思わず「両手が動いている(笑)」ようなことで、今はもう50代半ばになっている人達の当時の面影が浮かんだりします。

 

 これも色々調べていて分かったことですが、2015年には新垣結衣さんの主演で映画化されていたのですね。ぜひ観なくては!!

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♪ 「川の流れのように」

混声合唱曲「川の流れのように」―見岳章(編曲・藤林由理) - Bing video

(合唱 京都エコー)

川の流れのように
秋元康作詞・見岳章作曲

1
知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷(ふるさと)が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく
空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ

2
生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢 探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかは また 晴れる日が来るから
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように 移り行く
季節 雪どけを待ちながら

3
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら

  例年なら、田植えが終わったこの時期から三週間程あとに、所属する混声合唱団の定期演奏会が催され、いよいよ練習もラストスパートとなるのですが、昨年の3月からコロナ禍で活動は休止のまま。再開のめどは立っていません。

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2019年の定期演奏会

 昼間の農作業の疲れを癒やすのは、夜のYouTubeタイム」!!あれこれ気ままに好みの曲をアトランダムに聴いています。
 定期演奏会との関連でいえば、数年前に唄ったこの曲。珍しく、男性パートが「♪知らず知らず~」と出だしから、メロディーを歌わせてもらえる(笑)編曲になっていました。 

 曲の途中で、バスパートにもお情けで(?)主旋律が廻ってくることはありますが、出だしからというのは、なかなか珍しいことなのです。
 だからという訳はありませんが、この曲は忘れがたい一曲になっています。
 歌詞の方も、熟年向けのとでもいいましょうか、前期・後期の高齢者主体の私たちの団には、身を以て実感できる内容ですし、旋律にも特に唄いにくいところがないのも気に入っている理由です。
 私の場合、正直申し上げて、若い頃は美空ひばりさんの歌はそれほど好きではありませんでしたが、晩年の「愛燦燦」とこの歌については、やはり年のせいでしょうか、その良さがしみじみと分かるようになってきました。

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 今更いうまでもなく、美空ひばりさん最後のシングルということで、ご本人はそれほどの回数を唄ったわけではないそうですが、その分、性別やジャンルに関係なく、ずいぶんと多くのミュージシャンがカバーされており、それらもYouTubeで楽しむことが出来ます。
 中でも、合唱編曲バージョンと、「三大テノール」の一人であるホセ・カレーラスの歌唱が好きで繰り返し聴いています。
 スケールの大きな楽曲なので、オーケストラをバックに朗々と歌い上げるというのが、よく似合っているように思います。

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https://www.youtube.com/watch?v=Ne_N9Zwpzbs

 

 発声練習用のCDを車の中にいつも置いているのですが、なかなかそれを使って練習しようかという気持ちが起こらない昨今です。

 いつまで続くか分からない合唱ブランクの間も、せめてもいい歌をたくさん鑑賞していきたいと思っています。

♪ 「海を越えて友よ来たれ」(1964東京五輪愛唱歌)

www.youtube.com

(前半:「東京五輪音頭」、4分13秒から「海を越えて~」唄:藤山一郎

 

 東京オリンピック開催予定日まで二ヶ月を切りました。依然として先行きに不透明な部分が多く、選手、関係者の「やきもき度」は頂点に近くなっているのではないでしょうか。
 スマホでネットニュースでも見ていたとき、たまたま記事中にあった「より速く より高く より強く」の文言から、この歌が思い出されました。
 この部分のメロディーははっきり思い出されたのですが、曲名は勿論、歌全体の旋律は出てきません。
 「より速く より高く より強く」で検索して、タイトルのような曲名であったことがわかりました。
 

 この歌は今から8年ほど前に当時の安倍首相(たしか一つ年上?)が歌ったというニュースも、おぼろげながら甦ってきました。
 

★安倍首相、歌って五輪招致

 安倍晋三首相は4日、来日中の国際オリンピック委員会IOC評価委員会メンバーを歓迎する行事で、1964年の東京五輪に向けて作られた歌の一節を高らかに歌い、2020年夏季五輪の東京招致に懸ける熱意を示した。
 首相が歌ったのは、63年に発表された「海をこえて友よきたれ」(土井一郎作詞、飯田三郎作曲)のさびの一部。当時小学生だった首相は「今でも歌詞を覚えている」と前置きし、左手を高く掲げながら、原曲よりゆっくりとした調子で歌った (典拠不明の記事ですが・・・)

 

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「海をこえて友よきたれ」
作詞:土井一郎、作曲:飯田三郎、編曲:冨田勲 1963年(昭和38年)

1. 海を越えて 友よ来たれ
   明け渡る 山に川に
   若さ溢れ 力溢れ
   より速く より高く より強く
   大地蹴る 響き高く 
   あぁ 東京 東京オリンピック

2. 空に駆けり 水に踊り
   花開く 技を競え
   若さ溢れ 命溢れ 
   より速く より高く より強く
   日本の 風は光る
   あぁ 東京 東京オリンピック

3. 聖火燃えて 誓う平和
   万国の 旗の下に
   若さ溢れ 夢は溢れ 
   より速く より高く より強く
   未来への 虹を架ける
   あぁ 東京 東京オリンピック

 

   前の東京五輪当時、私は田舎の小学校(といっても全校で800人はいた大きな学校でした)の3年生。前の年から、三波春夫さんの東京五輪音頭」がテレビラジオで盛んに流れていました。
 この「海を越えて~」は学校で教わった曲だったでしょうか、同世代の方のあるブログに次のような記事がありました。

 さて、この『海をこえて友よきたれ』(作詞:土井一郎、作曲:飯田三郎)は、1964年の東京オリンピックをテーマにした歌で、63年に発売されています。オリンピックと言えば先ず三波春夫の「東京五輪音頭」ですが、当時の小学生は学校で、この「海をこえて~」か、「この日のために」のどちらかを歌わされていたので、同世代の中にも「海をこえて~」派と「この日の~」派があります。 
 この「海をこえて~」はNHK関係の曲で各レコード会社競作だった様ですがYouTubeでは藤原良と高石かつ枝とのデュエットによる爽快な歌で、オリンピックの高揚感を伝えてくれます。特に、曲の半ばのより速く、より高く、より強く~♪のところでグッと盛り上がります。

https://ameblo.jp/novausagi0116/entry-11483870297.html

 

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高石かつ枝 藤原良

 この方のおっしゃるように、「曲の半ばのより速く、より高く、より強く~♪のところでグッと盛り上がります」というのは、私も全くの同感です。
 この旋律がここ二三日、耳から離れません(😀)
 その頃の私は、歌が苦手で(好きでしたが)とても人前では歌えなかったのですが・・・・

 子どもの頃の感性というか記憶というのは素晴らしいですね!

 あれからもう60年近くが過ぎようとしていますが、はっきりと脳裏に刻まれてしまっています。

 今度のオリンピックに関しては、大会に関係するマーチや歌などが、まったくどこからも聞こえてきません。

 コロナ禍の真っ最中とはいえ、寂しいことではありますね。

 

※冒頭の「東京五輪音頭」は多くの歌手が唄ったそうですが、藤山一郎さんのは初めて聴きました。やはり、藤山さんには、こういう音頭調の歌は似合いませんね(;。;)