思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ ちいさい秋みつけた

http:// https://www.youtube.com/watch?v=wtUNRjF7nQA

 

作詞:サトウハチロー 作曲:中田喜直

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ
すましたお耳に かすかにしみた
よんでる口笛 もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた


誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
お部屋は北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた


誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
むかしの むかしの 風見の鳥の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉あかくて 入日色(いりひいろ)
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

 9月も終わりというのに、日によっては30度前後にも気温が上がったり、朝夕は20度を下回ったりと、体の方がついていきません(笑)
 しかし、田んぼの稲を見ると着実に季節は進んでいることがわかります。

 

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 一月ほど前だったでしょうか、コーラスグループ「ボニージャックス」のメンバーで長身で眼鏡、温和な笑顔が印象的だった西脇久夫さんがなくなられたというニュースに接しました。
 我々世代には、ダークダックス、デュークエイセスと並び、その歌声は今も耳の奥に残っています。
 中でも、この時期になるとよくテレビラジオから流れてきたのが、この曲でした。
  今回取り上げたのは、この曲が好きだったというよりも、歌詞が子供心によくわからなかった、不思議だったというのが主な理由です。
 ネットで曲名で検索してみると、検索の候補に「小さい秋みつけた 怖い」などと曲名の後に勝手に色んな言葉がくっついて現れます。
 私の場合は、「怖い」とは思いませんでしたが、不可解な歌詞が、次のように二番・三番に出てきて、逆に印象深かったのでした。(昔から詩的想像力に乏しかったのでしょう)

二番
   お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色 とかしたミルク わずかなすきから 秋の風
   ※「うつろな目の色→とかしたミルク」 意味のつながりが不明
 三番
    むかしの むかしの 風見の鳥の ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
   ※「風見鶏」も知りませんでしたが、「ぼやけたとさか」とは?また、そこに「はぜの葉」とはどういうこと?

 1955年にNHKの特別番組『秋の祭典』の楽曲の1つとして作曲され、伴久美子がソロで歌った。番組内限定の曲であり、当初はレコード化されなかったが、1962年にキングレコードのディレクター長田暁二が合唱に最適な曲として見い出した。ボニージャックスの歌唱でレコーディングされ、LP『サトウハチロー童謡集』(品番:KH-53 / SKH-8)に収録された。同年末の『第4回日本レコード大賞』で童謡賞を受賞した。
曲題についてはいくつかの表記揺れが発生しているが、JASRACに登録されている正題と『サトウハチロー童謡集』での表記は「ちいさい秋みつけた」である。
1965年以後、小学校・中学校・高校の音楽の教科書にたびたび掲載されている[1]。日本の歌百選。(Wikipedia

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サトウハチローWikipedia

サトウハチロー 1903-1973
 本名は佐藤八郎。弘前出身の人気作家、佐藤紅緑の長男として東京で生まれた。祖父・弥六から見て八番目の孫という理由で八郎と名付けられたという。クリスチャンだった母ハルと、音楽家を志していた姉喜美からの感化は、ハチローが詩人・童謡作者として名を成す上で基盤となった。少年時代は父の紅緑も手を焼く暴れん坊で、勘当され小笠原諸島父島の感化院行きを命じられたこともあった。実際には感化院には入らず、かねてから佐藤家に出入りしていた福士幸次郎と共同生活し、読書の日々を送った。その後、幸次郎の紹介で西条八十に師事。大正十年以降、諸雑誌に童謡や童話を精力的に発表する。筆名サトウハチローを用いるようになったのは大正十三年頃からで、群馬県に佐藤八郎という同姓同名の詩人がいたことがきっかけであったという。昭和に入って、流行歌の作詞者として活躍。戦後、大ヒットした「リンゴの唄」もハチローの作である。その後、童謡に本腰を入れ、「ちいさい秋みつけた」等の名曲を多数生み出した。晩年には、テレビドラマと連携して詩集『おかあさん』を刊行。多方面で活躍した、才能豊かな詩人であった。 青森県近代文学館   https://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top/museum/sato-hachiro.html

 歌詞の意味や背景を解説してくれているサイトがありました。

「世界の民謡・童謡」http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/chiisaiaki.htm

○幼児期に大やけどを負ったサトウハチロー
 『ちいさい秋みつけた』作詞者のサトウハチローは、3歳ごろ熱湯で脇腹に大やけどを負い、数年間病床に伏せっていた。
 火傷(やけど)は大きな後遺症となり、ハチローは母親ハルの背中に背負われて小学校に通ったという。
 体の不自由さもあり、ハチローは家にこもりがちだった。クリスチャンだった母親は、そんなハチローをよく教会に連れて行ったという。教会の屋根には風見鶏(かざみどり)があった。
 『ちいさい秋みつけた』の歌詞には、これら作詞者による幼少期の体験が色濃く投影されていると考えられる。
  続きはホームページで・・・

 サトウハチローの幼少期のことを詳しく書いてくれていて、これからもこの曲を聴くたびに、そのことが思い出され、確かに美しい旋律ではあるのですが、素直には楽しめないのではないかと思ってしまいます。

 なお、あの長崎の鐘もこの方の作とは意外でした。

 さすがは、自らを『詩のデパート』と評した西条八十氏のお弟子さんだけのことはあるなと、変に感心もしたようなことでした。