https://www.youtube.com/watch?v=FFPei6yDzvg
(はいだしょうこ)
1番(雨降りお月さん)
雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
お馬にゆられて 濡れてゆく
2番(雲の蔭)
いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
手綱(たづな)の下から ちょいと見たりゃ
お袖でお顔を 隠してる
お袖は濡れても 干しゃ乾く
雨降りお月さん 雲の蔭
お馬にゆられて 濡れてゆく
平年よりも20日以上早く、近畿地方も梅雨入りしたようです。
五月晴れの期間は短く、雨で黒くなった田んぼに雑草の緑が目立ち、気になるのは耕作者だけでしょうが、週明けは蒸し暑く、鬱陶しいスタートとなりました。
「雨」にかかわる楽曲は、これまでにもいくつかとりあげましたが、今回はふと浮かんだ懐かしの童謡から「雨降りお月さん」です。
幼児の頃は、「あめあめふれふれ かあさんが~」という出だしの「あめふり」のほうは歌ったでしょうが、こちらは歌詞も旋律も難しく、もっぱら聴くばかりであったように思います。
今回、ネットで色々と調べてわかりましたが、なかなか「擬人法」には気がつきませんでした。(あなたは元々何の教師やったの!?と云われそうですが)
「野口雨情記念館 湯本温泉 童謡館」(https://www.iwaki-cc.ac.jp/douyou/ame.html)
ホームページの説明が歌の背景も含めて分かりやすかったので、以下に挙げておきます。
雨降りお月さん
量
「雨降りお月さん」は大正14年(1925年1月)にできた作品です。
詩を読むだけでも切ない感じをうけます。
この歌詞は、太陽や月のまわりに見える輪のような光を暈といい、月の暈がかかることをお月さんが傘をさす、といいます。そしてお月さんが暈をさすと翌日は雨になるといわれています。この歌は、かさをさしたお月さんを現実に踏まえて、幻想的にうたったものです。
大好評
最初に作られたのは1番だけでしたが、その後2番が新たに付け加えられました。1番と2番は別々に作られた違う曲で、旋律を微妙に変えているのです。 最初は、題名を「雨降りお月」としていましたが作曲者の晋平の要望で「さん」をつけて発表しました。 この歌は子供たちから大好評であり大人もじゅうぶんに楽しめる曲です。
しきたり
雨情の孫、野口不二子さんによると、雨情夫人ひろから興入れの日は雨が降っていて、栃木県塩谷郡喜連川(きつれがわ)から馬で2日もかかって来たという話しを聞かされていたそうです。当時この辺りのしきたりでは、花嫁は馬に乗って婚家に嫁ぎ、花婿や村人たちは、家の前で行列を迎えたそうです。
ひろも、しきたり通りに馬に乗って野口家に嫁ぎました。しかし、その日は、あいにくの雨でした・・・。
迎えた雨情は、白無垢姿の花嫁の濡れた綿帽子を心優しくはずしました。これが、2人の初めての対面でした。この詩はそのときのことを歌ったものです。
お嫁さんは、新しい生活への希望に満ちて、凛として馬に乗って嫁いできたことからこの詩は、雨の中を、遠く長い道のりを濡れながらやってきた花嫁に対するねぎらいの思いを歌ったものなのです。
作詞家・作曲家の俗にゴールデンコンビというのがあります。
「北原白秋・山田耕筰」とか、「西条八十・古関裕而」とか、まだまだあると思うのですが、この「野口雨情・中山晋平」という組み合わせも音楽史上に残るゴールデンコンビです。
我々世代には懐かしい次のような歌があります。
「兎のダンス」(ソソラ ソラ ソラ うさぎのダンス~)
「証城寺の狸囃子」「あの町この町」(あの町この町 日が暮れる 今きたこの道 帰りゃんせ~)
「黄金虫」(黄金虫は金持ちだ~)
「シャボン玉」「波浮の港」(磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る~)
「雨」にまつわる楽曲が多いのは、やはり自由に外出もできず、家に籠もって内省的になり、そういう状況から詩想や旋律が浮かんでくるからなのでしょうか?
古今東西を問わず、心に残る曲が多いように思います。
この記事もタダタケさんの「雨」をYouTubeで聴きながら書きました(笑)