思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「天長節」

天長節の歌 12月23日 / 祝日大祭日唱歌八曲 - YouTube

黒川真頼(まより)作歌・奥好義(おく よしいさ)作曲

 

今日の吉き日は 大君の
うまれたまひし 吉き日なり

 

今日の吉き日は みひかりの
さし出たまひし 吉き日なり

 

ひかり遍(あまね)き 君が代
いはへ諸人 もろともに

 

めぐみ遍き君が代
いはへ諸人 もろともに

大日本帝国唱歌を歌い継ごう④」    https://nihon-omokage.com/?p=1201

 

本日2月23日は天皇誕生日ということで、3連休の方も多いことでしょう。
我々昭和中期(私は花の30年組ですが(^_^))生まれの者には、天皇誕生日といえば、ゴールデンウィークの初め、4月29日というのが一番長くて記憶に残っています。
続いて平成の頃は12月23日でした。(失礼ながら現役の頃は冬休み前で、なんか中途半端な感じが・・・・)

 

戦前はこの日を天長節四大節の一つ、他には「四方拝・1月1日」、「紀元節2月11日、「明治節・11月3日」)と称しており、当日学校はお休みではなく、児童生徒は登校して式典に参加していました。

戦後に廃止されていますので、当然実際に唄ったことはないのですが、小説に描かれた昔の学校教育の様子をあれこれと調べては、ブログにあげたり、自費出版(よかったらアマゾンで「藤原重彦」と検索してみてください)したりしているものですから、関心はもっていました。

上は明治20年代後半、元旦(「四方拝」)で勅語奉読と祝歌を合唱する様子(「ジャパンアーカイブズ」より)
  また、クラシック系の音楽、中でも日本歌曲も好きで、古いものを中心によくYouTubeなどで聴いています。

 

さて、この曲の作曲者奥好義(おく よしいさ)氏ですが、京都で長らく続いた雅楽の家柄で、明治以降は宮内省の楽部で勤められたそうです。日清戦争の頃に作られた「婦人従軍歌」も有名ですね。

以前に投稿した「一月一日」の作曲者である上真行(うえ さねみち)氏もお年は多少違いますが、やはり雅楽の出でした。どちらの歌にも優美で格調高い雰囲気が漂っているのは、そうしたご経歴に由来するものなのでしょうね。

 

以下は余談ですが、天皇誕生日明治天皇(11月3日、明治節文化の日)、昭和天皇(4月29日、天長節みどりの日→昭和の日)となっているのに、大正天皇(8月31日)だけは、戦前に「大正節」があったのを聞いたことがありません。なぜなのでしょうか?

この疑問については、以下のような記述を見つけましたが、失礼ながら文末に「~そうです。」とあるようにあくまでも一つの説と見てよいでしょう。

大正天皇の誕生日は8月31日です。 現在祝日としては定められておらず、平日となっています。 大正年間は8月31日が天長節でしたが、暑さが厳しい時期に式典を行うことが難しく、10月31日が「天長節祝日」として祝日が設けられたそうです。

大正9年10月31日/大磯町ホームページ

 

【参考】

島崎藤村『破戒』から「天長節」の場面
   https://sf63fs.hatenadiary.jp/entry/2022/08/31/151124

田山花袋田舎教師』から「天長節」の場面

 https://sf63fs.hatenadiary.jp/entry/2019/05/07/114653