思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「雪の降るまちを」

https://www.youtube.com/watch?v=XoK-lNmEeRc

(高 英男 & ダークダックス)

 

作詞:内村直也 作曲:中田喜直  昭和26年(1951)

 

雪の降る町を 雪の降る町を
思い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る町を遠い国から落ちてくる
この思い出を この思い出を
いつの日にか 包まん
あたたかきしあわせのほほえみ

 

雪の降る町を 雪の降る町を
足音だけが 追いかけてゆく
雪の降る町をひとり心に満ちてくる
この悲しみを この悲しみを
いつの日か ほぐさん
緑なす春の日の そよかぜ

 

雪の降る町を 雪の降る町を
息吹きと共に こみあげてくる
雪の降る町を 誰もわからぬわが心
このむなしさを このむなしさを
いつの日か 祈らん
新しき光ふる 鐘の音

  この曲の初出は1951年にNHKラジオで放送された連続放送劇えり子とともにの挿入歌としてであった。ある回の放送前日におけるリハーサルで時間が余ることが分かり、その時間を埋めるべく急拵えで制作され、主演の阿里道子と南美江が新しい劇中歌として歌い、人気が出たため二番以降が制作され、高英男の歌唱によりレコードも制作されヒットした。後に、作曲者自らの手で女声合唱、混声合唱に編曲されている。
なお初版シングルでの曲名は「雪の降るまちを」であるが、後に高の歌唱により再録音されて発売したシングルでは「雪の降る町を」となっている。さらに、1973年に高が発売したアルバム『雪の降る街を』(キングレコード、SKD-175)では「雪の降る街を」になっている。
作曲者の中田がこの曲を作るに際しては、知人である菅原喜兵衛宅のある山形県鶴岡市で見かけた降雪風がこのメロディを紡いだと伝えられ、現在も毎年2月に行われる「鶴岡音樂祭」ではフィナーレにこの曲が歌われている(作曲者存命中は、本人が鶴岡に出向き自ら指揮していた。没後は夫人がその任を果たしている)。(Wikipedia

   


 

 数日前に、昼食の時にいつも点けている窓際のラジオから、高 英男さんの歌うこの曲が聞こえてきました。番組は「ひるのいこい」でした。
 聴いている人の年齢層に合わせてか、この番組では思いがけなく懐かしいメロディーに出会うことが少なくありません。
 おそらく、小学生の頃だったでしょう。ダークダックスの歌うこの曲を、テレビで何度も聞いた記憶があります。
子ども心に、「思い出が 通り過ぎてゆく」「遠い国から落ちてくる この思い出」などといういわゆる擬人法的表現がなんとなく不思議に思われたものでした。
 また、一番から三番まで、前半は暗く切ない歌詞なのに、後半は急に調子が変わるあたりも、小学生には素直に受け入れがたかったのでしょう。

 曲の構成も、(後に知ったことですが)短調長調の転調がめまぐるしく、歌詞の難解さに加えて、この曲を分かりにくくしており、歌ってみようという気にはなりませんでした。
 

 ある作曲家のブログでは、この曲の転調について説明した後に、次のような文章が続いていました。http://yoshinobu.noguchi-art.com/

「「雪の降る街を」も最後が明るく終わるから聴き終わって晴れやかになります。」とメッセージを頂きました。
 私の場合は、唐突すぎて不自然にしか思えませんでした・・・・

 

 「思い出の中の~」といって取り上げた曲は、その殆どが懐かしく、また聴いてみたい、歌ってみたいというものなのですが、ことこの歌に関しては、半世紀以上経った今でも、子どもの頃に感じた「不思議さ」「不可解さ」が強く残ってたままです。
 以前に「小さい秋見つけた」でもふれましたが、田舎の子どものくせに「歌の中の言葉」に変に敏感だったのかも知れません(笑)

 それに、温暖な土地で生まれ育ち、「雪の降る町を歩く」といった経験がないのも、一因ともなっているでしょうか。

 いずれにせよ、この曲を聴くたびに、子どもの頃に感じた不思議な違和感が甦ってきます。