思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「かえり船」ーバタ臭い「バタヤンソング」ー

 かえり船/田端 義夫 - YouTube

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2020/7/6の「鉾をおさめて」の記事で取り上げたヴィタリ・ユシュマノフの2枚目のCDを買いました。

 「夢」探しながら-日本名歌集2-

【収録曲】
ふるさと  

花  

箱根八里

富士山見たら
富士の山  

鯉のぼり  

早春賦  

夏の思い出
ちいさい秋みつけた  

雪の降るまちを  

別れ船

かえり船  

赤とんぼ  

夕焼小焼  

月の沙漠
長崎の鐘  

上を向いて歩こう  

いつでも夢を
愛燦燦  

川の流れのように

昨夜の 夕食後、焼酎のお湯割りで「いい気分」になり、テレビでYouTubeの「スーパーはくと・前面展望」を見ながら、上の曲を順に聴いていました。
今回、意外だったのは、彼が田端義夫の「別れ船」と「かえり船」を歌っていることでした。いわゆる日本名歌とか童謡・唱歌、それにクラシックの歌手も歌っているような歌謡曲なら分かるのですが・・・。
おそらく、日本人のクラッシック系歌手でも歌った人はないだろうと思います。

ピアノ伴奏の塚田佳男さんが、こんな解説を書いておられます。

続く二曲はなんとも思いがけない選曲であるが、これは先刻ヴィタリが上梓した書籍の共著者である戸ノ下達也氏からの勧めだったという。(中略)クラシック歌手はまず歌うことのない「なつメロ中のなつメロ」であるこの二曲をヴィタリらが選んでくれたのはなんともうれしい限りである。(中略)
二曲ともヴィタリの歌い方には、どこか無頼派的でアウトローな男の哀しみがにじみ出ている。加えてサビの部分の、思いの丈をぶっつけるような哀切な叫び!この若きロシア人のヴィタリは、なぜ日本のこんな時代の歌をこんな風に歌えるのだろう・・・・・ふと涙ぐんでしまう私である。

著作権の関係で、このブログで音声を貼り付けて聴いていただけないのが、残念です。

田端 義夫(たばた よしお、1919年(大正8年)1月1日 - 2013年(平成25年)4月25日)は、日本の歌手、ギタリスト。本名は田畑 義夫(読み同じ)[1]。第二次世界大戦前から21世紀初頭まで現役歌手として活躍した。愛称はバタヤン。水平に構えて持つ、アメリカのナショナル・ギター社製エレキギターと威勢のよい挨拶がトレードマークであった。
代表曲​
「島の船唄」(昭和13年)[清水みのる作詞、倉若晴生作曲]
大利根月夜」(昭和14年)[藤田まさと作詞、長津義司作曲]
「別れ船」(昭和15年)[清水みのる作詞、倉若晴生作曲]
「梅と兵隊」(昭和16年)[南条歌美作詞、倉若晴生作曲]
「かえり船」(昭和21年)[清水みのる作詞、倉若晴生作曲]
「ズンドコ節(街の伊達男)」(昭和22年)[佐々木英之助作詞、能代八郎作曲]
玄海ブルース」(昭和24年)[大高ひさを作詞、長津義司作曲]
「ふるさとの燈台」(昭和24年)[清水みのる作詞、倉若晴生作曲]
玄海エレジー」(昭和26年)[大高ひさを作詞、長津義司作曲]
「十九の春」(昭和50年)[沖縄民謡](Wikipedia

 

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「かえり船」

作詞:清水みのる、作曲:倉若晴生、唄:田端義夫   昭和21年(1946)

1 波の背の背に 揺られて揺れて
  月の潮路の かえり船
  霞む故国よ 小島の沖じゃ
  夢もわびしく よみがえる

2 捨てた未練が 未練となって
  今も昔の せつなさよ
  瞼(まぶた)あわせりゃ 瞼ににじむ
  霧の波止場の 銅鑼(ドラ)の音

3 熱いなみだも 故国に着けば
  うれし涙と 変わるだろう
  鴎ゆくなら 男のこころ
  せめてあの娘(こ)に つたえてよ

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さて、「思い出」も少し書いておきたいと思います。
20代の前半の頃は、まだレコード全盛の時代。

同時代に流行している歌謡曲もたまに歌ったりしてはいたのですが、(例えば、細川たかし「心のこり」渥美二郎「夢追い酒」など)、その一方で、自分が生まれる5年も10年も前の流行歌も、気に入ったものはよく口ずさんでいました。

具体的に何年とは特定できませんが、初任の地・伊丹にいた頃ですから、昭和53から57年(1978~1982)のことになります。
当時、伊丹混声合唱団でコーラスをやっているということで、(コーラス部の顧問もしていました😀)忘年会などで、指名されて歌わされることがありましたが、あるとき、何を思ったか、この「かえり船」を熱唱(?)した記憶があります。
自分の親ぐらいの先輩教員・世界史のK氏(大学の先輩で色々ご指導いただきました。ご存命なら90歳ぐらいでしょうか)から、広島なまりで「若いのに、ようこんな古い歌知っとるな!」と云われたのも鮮明に覚えています。

昨夜、ヴィタリの歌を聴きながら、そんな40年ほど前のことがふと思い出されてきました。

※今日は、別の調べ事で図書館へ行き、参考資料室にあった「日本流行歌史」という本をパラパラめくっていると、この「かえり船」の説明があり、「引き揚げソング」というジャンルに属すとありました。初めて知った言葉でした。

 たぶん、今夜もこのCDを聴くことことになると思います!!