思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「ブルーシャトウ」(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)

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 先日、某地方紙の夕刊のコラムで、 ジャッキー吉川とブルー・コメッツの大ヒット作である、この「ブルーシャトウ」のことを取り上げている記事を見て、すぐさま頭の中にメロディーが浮かんできました。
   「シャトウ」が、身分の高い人が暮らす「城」「宮殿」ということなど、何も知らず聴いたり歌ったりしていた、50数年前の田舎の小学生時代のことが次々と思い出されてきました。

「ブルー・シャトウ」橋本淳作詞・井上忠夫作曲    

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

 

森と泉に かこまれて
静かに眠る ブルー ブルー
ブルー シャトウ

 

あなたが僕を 待っている
暗くて淋しい ブルー ブルー
ブルー シャトウ

きっとあなたは 紅(あか)いバラの
バラのかおりが 苦しくて
涙をそっと 流すでしょう

 

夜霧のガウンに 包まれて
静かに眠る ブルー ブルー
ブルー シャトウ ブルー

ブルー ブルー ブルー ブルー
ブルー シャトウ

きっとあなたは 紅いバラの
バラのかおりが 苦しくて
涙をそっと 流すでしょう

夜霧のガウンに 包まれて
静かに眠る ブルー ブルー
ブルー シャトウ ブルー

ブルー ブルー ブルー ブルー
ブルー シャトウ

 

昭和42年(1967)3月15日に発売され、レコード売上150万枚の同グループ最大のヒット曲となり、第9回日本レコード大賞を受賞した。またこの曲は『第18回NHK紅白歌合戦』(1967年)の際の出場曲で、同時にグループとして2回目の出場曲でもある。橋本淳作詞、井上忠夫(後に井上大輔)作曲、森岡賢一郎編曲。(Wikipedia

 

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若い人たちには,右上の「45」の意味はわからないでしょうね(笑)

 昭和39年(1964)の東京オリンピックが終わった後、40年代に入ると、(自分の記憶の中では)グループサウンズの大ブームとムードコーラスグループの流行があったように思います。
 前者で覚えているのは、ヴィレッジシンガーズザ・タイガース、ザ・テンプターズザ・ワイルドワンズなどですが、よく聴いたのは、このジャッキー吉川とブルー・コメッツが一番でしょうか。
 グループサウンズには、若い女性を中心に熱狂的なファンが多かった中で、ジャッキー吉川とブルー・コメッツは、ザ・タイガースと比較するとよくわかりますが、少し大人っぽく、真面目な感じのスーツにネクタイという衣装に歌っている曲の雰囲気もあってでしょうか、もう少し広い世代に好まれていたように思います。

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ザ・タイガースのメンバー、中央が沢田研二

 

 後者では、内山田洋とクール・ファイブ黒沢明ロス・プリモス鶴岡雅義と東京ロマンチカ和田弘とマヒナスターズなどのヒット曲が今でも鮮明に思い出されます。

 

 それまでの謡曲では、歌い手の背後でフルバンドが演奏するという形態が一般的でしたが、グループ・サウンズの登場は、当時小学6年生でしたが、子ども心にかなりインパクトのある出来事でした。
 既にビートルズベンチャーズなどに影響された若者たちは、すぐさまエレキギターの虜(とりこ)になっていましたが、グループサウンズの登場で、さらに範囲が拡大したと思います。
 純農村地帯に育った私ですが、同級生には商店の跡継ぎやサラリーマンの子女も多く、そんな「町の子」の中でちょっと生意気な(?)男の子が一人エレキギターを買ってもらっていました。

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当時のエレキギター



 エレキギターをみせたろうか!?」というので、商店街の一角にある、その子のうちに同級生と行ったこともありましたね。
 ただ、一般には長らく「エレキ=不良」というイメージが、特に田舎ではつきまとっていましたし、その後、中高と吹奏楽部に入ったこともあり、クラッシックには少し親しみましたが、エレキも含めてギターには、とうとう縁がないままでした。

 

 さて、「ブルーシャトウ」ですが、間奏の中で作曲者である井上忠夫(後に井上大輔)さんが、フルートを少し吹いてから歌に入るというのが、斬新でカッコよく見えたものでした。(冒頭の動画では、フルートをバトンのように回しています・笑)
 また、前奏も歌謡曲や演歌に慣れていた少年にとっては、半世紀以上経っても忘れられないメロディーとして耳の奥に残っています。

 

 その頃、よく流行った替え歌「森トンカツ、泉ニンニク~♪」を歌っていた小学生たちも、もう60代後半!多くはジイジ、バアバになってしまいました(;。;)
  

 エレキギターを見せてくれたH君は、地方紙の三面記事で久しぶりに名前を見かけた(たしか覚○剤所持だったかな?)後は消息不明でしたが、40代で亡くなったと風の便りで聞きました。