思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 『陽は舞いおどる甲子園』(旧・選抜高等学校野球大会歌)

選抜高校野球 旧大会歌 「陽は舞い踊る甲子園」 - YouTube

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 一昨日の3月19日(金)から、「春のセンバツ選抜高等学校野球大会)が始まりました。
 今年は、同じ東播磨地区から公立高校が21世紀枠で出場しているので、テレビ観戦を楽しみにしていましたが、生憎の雨で明日に順延となりました。
 小学生のころから、何度か訪れた甲子園今年30になる息子が小学生の時に連れて行った記憶がありますが、それ以後は長らくご無沙汰。
 久しぶりに訪れた8年前の夏は、生徒引率の出張でした。
2020-07-21
♪ 「栄冠は君に輝く」(古関裕而
♪ 「栄冠は君に輝く」(古関裕而) - 思い出の中のあの歌この曲 (hatenadiary.com)

 

 昨晩、テレビやネットニュースで、選抜の記事を見ていて思い出したのが、この「大会歌」のことでした。

 今は、第65回大会(1993年)からの3代目大会歌として、作詞・阿久悠、作曲・谷村新司「今ありて」という曲が演奏されています。もちろん、これも素晴らしい曲なのですが、我々世代には旧・大会歌(正式には一つ前の2代目大会歌)のメロディーが忘れられません。
 この2代目は、勇ましい感じのメロディー(作曲者は陸軍軍楽隊員ですから!)で印象に強く残っているのですが、歌詞の方はと言うと、初めの方しか思い出せません。
 このたびWikipediaなどで調べてみると、結構難解な用語になっています。(作詞が薄田泣菫と知って納得!)
 これでは覚えられないのも無理もありませんし、時代にそぐわないと言われても仕方はなかったでしょう。
 そうは言っても、やはり子どもの頃にしみこんだ歌の記憶には、やはり根強いものがありますね。

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※「ララララ」の終わり方が,この時代にしては洒落た感じになってます。

1、
陽は舞いおどる 甲子園
若人よ 雄々しかれ
長棍痛打(ちょうこんつうだ)して 熱球カッととぶところ
燃えよ血潮は 火のごとく
ラ大毎(後に毎日) ラ大会 ラララララ

2、
戦塵あがる 春なかば
選士らよ 雄々しかれ
輝く王冠の 誉(ほまれ)に酔うは何人(なにびと)ぞ
あげよ凱歌を 波のごと
ラ大毎 ラ大会 ラララララ

 

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薄田泣菫

 昭和9年(1934)に制定された「選抜中等学校野球大会」(現在の選抜高等学校野球大会)の2代目大会歌である。「陽は舞いおどる甲子園」は通称であり、正式には「全国選抜中等学校野球大会歌」(後に「選抜高等学校野球大会歌」)と呼ばれる(初代大会歌も同様である)

 作詞は主催者・大阪毎日新聞社学芸部部長で詩人の薄田泣菫、作曲は陸軍戸山学校軍楽隊。なお、この頃から軍楽隊や東京音楽学校の人物による作品については作曲者の名前は伏せられるようになった

 この曲は全国高等学校野球選手権大会栄冠は君に輝くとは対照的に忘れられた存在となってしまった。
また歌詞の中に「選士」など軍国主義時代を彷彿とさせる時代にそぐわない言葉がある他、「毎日」と入っている関係上NHKテレビの開会式中継でも歌詞の字幕スーパーが表示されないなど、それらも世間にほとんど浸透しなかった一因となってしまい1992年(平成4年)の第64回大会限りで姿を消した。(Wikipedia

  

 ここからは話がそれますが、春夏の甲子園の野球というのは、戦前の「中等学校野球の振興」という大義名分がたしかにあったものの、元々は夏の朝日春の毎日という両新聞社(どちらも大嫌いですが・笑)の販売戦略の一環という面もあったようです。

 私のブログ「『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ」では、以下の記事で少しふれています。

2019-02-25
コラム6 「校友会の運動部活動」
https://sf63fs.hatenablog.com/entry/2019/02/25/105842
 運動部の活動は、そうした社会の風潮を背景に発展していったわけですが、反面で過熱化にともなう弊害も指摘されるようになっていきます。「選手制度の弊害」、「勝利至上主義」、「過剰な学校対抗意識」などといった言葉で表されるものでした。

 中でも、東京朝日新聞は「野球害毒論」の論陣を張り、執拗に野球批判を行いました。さすがに当局も看過できず、北海道では明治四十三年(一九一○)年、庁立の中等学校野球の対外試合が禁止されてしまいました。それは十年近く続いたということです。
 ところが、皮肉なことに、大正四年(一九一五)に、今度は大阪朝日新聞が主催して「健全な教育活動の一環としての中等学校野球の確立」を目指して、夏の甲子園大会(全国中等学校優勝野球大会)を始めています。どうも、このあたりは、背後に「大人の事情」とでも言うべきものがあったのではと思われて仕方ありません。

  実際、大正から昭和の初め頃にかけて、「大阪朝日」と「大阪毎日」は、中等学校野球を初めとするスポーツイベントを通じて、購読者の増加を図ろうという経営戦略を積極的に展開していたと言われています。(西原茂樹「東京・大阪両都市の新聞社による野球(スポーツ)イベントの展開過程―1910~1925年を中心に―」)