思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「村の少女」(国民歌謡)

 

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 陽気に誘われて、土木係としての受け持ち区域の見廻り旁々、30分ほどの散歩途中に、付近の藪や雑木林の中から、鶯の鳴き声が聞こえてきました。
 ふと思い出したのは、昔よく車の中で聴いていた鮫島有美子さんのCDにあった歌で、歌詞に「藪の鶯鳴きそめぬ」という文句がありました。
 

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 帰宅後に曲名を探しあてるのに手間取りました。「山の乙女」?「村の乙女」?それらしい曲はありましたが、どうも違います。
 曲の雰囲気から、ひょっとして戦前の「国民歌謡」?と思い、Wikipediaの一覧から、この「村の乙女」(喜志邦三作詞 /富永三郎作曲)を見つけました。
 昭和12年(1937)5月20日に放送され、ソプラノ歌手の関種子さんが歌っていました。

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「村の少女(おとめ)」
喜志邦三:作詞 富永三郎:作曲

 

1 
囲炉裏を閉ぢて 早や七日 藪のうぐひす 鳴き初めぬ  納屋の南の 

荒壁に もたれて見れば 麦青し

2
都の紅き ともしびの 便り恋しき 春なれど われは少女(おとめ)の 夢捨てて さびしく咲ける 山椿

3
錦の衣はまとはねど 父と母との ふるさとの 村に埋もるる うれしさを 雪どけ水よ 歌へかし

 

『国民歌謡』は、戦前の1936年から1941年の期間、月曜から土曜の午後0時35分から5分間、新しく作った曲を1週間連続して流した、日本のラジオ番組である。今日のヘビーローテーションに当たる。
1941年2月12日から同年12月8日の期間は名前が「われらのうた」と変わり、さらにその後の、1945年8月15日までは「国民合唱」となり、戦後は「ラジオ歌謡」となった。
Wikipedia

  これまでにも取り上げた「椰子の実」東海林太郎)を初めとして、「春の唄」(月村光子)、「愛国の花」(渡辺はま子)「めんこい仔馬」(二葉あき子、高橋裕子)などが、有名なところではないでしょうか。あの海ゆかば(日本ビクター混声合唱団)も、なんと国民歌謡のうちの一曲だったのですね。

 

 作詞の喜志邦三さんには、「ラ~ラ~ラ~、赤い花束 車に積んで 春が来た来た 丘から町へ・・・」という歌い出しで有名な「春の唄」があります。

 

■喜志邦三 明治31~昭和58(1898~1983) 詩人 大阪府堺市生まれ
兵庫県西宮市に居住。兵庫県が舞台の作品に「海港の秋」がある。
明治31年(1898)大阪堺市生まれ。早稲田大学英文科卒業後、大阪時事新報社で新聞記者を勤め、のちに神戸女学院大学で教壇に立った。三木露風に師事し、第三次「未来」に参加。麦雨の号で抒情詩を発表。後には人間の内面を追究する作風へと深化していった。積極的に後進の育成にも尽力し、戦後になって「交替詩派」を主宰。のちに「再現」「潅木」へと名前を変えながら発展していく。西宮北口並びに甲子園口に長く居住した。NHK放送文化賞、西宮市民文化賞を受賞。
一方、詩作の拡がりを目指して、国民歌謡,ラジオ歌謡,歌謡曲にも創作活動を続け、多くの作品を世に送り出した。中でも「春の唄」「踊子」「お百度こいさん」等は今でも歌い継がれている。神戸淡路震災復興のシンボルマークの一つであるアクタ西宮には「春の唄」の歌碑が建立されている。 (兵庫県文学館ホームページ)

  さて、この「村の乙女」。ゆったりと優しいメロディーで懐かしい感じを与えてくれますが、大詩人には失礼ながら、ちょっと気になるのが「父と母との ふるさとの 村に埋もるる うれしさ」という三番の歌詞です。

 いったい、少女のどういう境遇を想定しているのでしょうか。

 「埋もれる」は「価値が人に知られずにいる」と辞書にはありますが、どうも腑に落ちません。理解力、想像力不足なんでしょうか?(;。;)

 

 鮫島さんのCDがたくさんあるのですが、整理が出来ていなくて、まだ現物がみつかっていないというお粗末。