前回は、小学3年生の頃に「東京の灯よいつまでも」が好きになって、歌に興味をもつようになったいきさつを書きました。
小学5年生になった頃(だと思うのですが)、今度は器楽合奏のメンバーに入って(入るように言われて)、ハーモニカを吹くようになりました。昭和41年(1966)の話です。
この器楽合奏はいわゆるクラブ活動で、5、6年生の寄せ集めだったと思うのですが、他にどんなメンバーがいて、そもそも指導の先生が誰だったのか・・・、残念ながら忘却の彼方です。
そんなあやふやな記憶の中で、練習した曲目だけは、不思議と覚えています。
当時、器楽合奏の定番であった『双頭の鷲の旗の下に』と『ドナウ川のさざなみ』でした。特に、前者の場合、出だしが派手で子供心にインパクトのある曲でした。
まだ、体育館がなくて、普通教室3つぐらいの広さの講堂だったか(音楽室だったか?)で行われた音楽会で発表したように思います。
※写真はイメージです もっと編成も大きく人数も多かったですね。昭和40年頃は、まだ白黒写真でした(^0^;)
『双頭の鷲の旗の下に』(そうとうのわしのはたのもとに、ドイツ語: Unter dem Doppeladler、英語: Under the Double Eagle)作品159は、ヨーゼフ・フランツ・ワーグナーが1880年代(1902年という説も)に作曲した行進曲。『双頭の鷲の下に』と呼ばれることもある。
明快かつリズミカルな曲調でワーグナーが当時オーストリア=ハンガリー帝国の軍楽隊長であった時期に作曲したものであり、曲名にある「双頭の鷲」は同国のシンボルである。日本では運動会などの行進曲としてよく用いられる。 (Wikipedia)
今、ネットで調べると小学校の器楽合奏はだいたい以下のような編成になっているようです。
主な使用楽器:鍵盤ハーモニカ、グロッケン(鉄琴)、ビブラフォーン(鉄琴)、マリンバ(木琴)、シンセサイザー(電子オルガン)、 ベース(低音楽器)、スネアドラム(小太鼓)、バスドラム(大太鼓)、パーカッション、ティンパニー等
私たちの世代で、しかも田舎の学校ですから、主力の鍵盤ハーモニカ※はまだ登場しておらず、かわりにハーモニカが中心的な楽器でした。
※長らく「ピアニカ」と思い込んでいましたが、それは商品名でした😀
昭和40年頃でも、クラスに数名の女子はピアノを習っていました。(田舎の学校ではありましたが、町の中心部にあり、商店主、教員、サラリーマンの子供も多く、余裕のある家庭ではピアノを習わせていました)
そうした音楽的な訓練を経験している女子がオルガンやアコーディオン、または木琴などをやっていました。
私たち男子の多くは、「その他大勢の中」でしたが、一応楽譜が読める(?)というのでハーモニカがわり当てられたのではなかったでしょうか。
高学年になっても、依然として歌のほうはあまり上達しませんでしたが、器楽のほうの評価で(?)通知簿は、少し上がったようです。
(6年生では評価が良かったでしょうか。中学に入ってすぐに後の恩師・音楽のI先生から呼び出しを受けて吹奏楽部に勧誘されたのは、そのことがあったからだと思われます。)