思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「われは海の子」(文部省唱歌)

 

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https://www.youtube.com/watch?v=wNihBleQg54

われは海の子 文部省唱歌

 

一、

我は海の子 白浪の さわぐいそべの松原に 

煙たなびくとまやこそ  我がなつかしき住家なれ。

二、
生まれてしほに浴して  浪を子守の歌と聞き

千里寄せくる海の氣を  吸ひてわらべとなりにけり。

三、
高く鼻つくいその香に  不斷の花のかをりあり。

なぎさの松に吹く風を  いみじき樂と我は聞く。

四、
丈餘のろかい操りて  行手定めぬ浪まくら

百尋千尋海の底  遊びなれたる庭廣し。

五、
幾年こゝにきたへたる  鐵より堅きかひなあり。

吹く鹽風に黑みたる  はだは赤銅さながらに。

六、
浪にたゞよふ氷山も  來らば來れ恐れんや。

海まき上ぐるたつまきも  起らば起れ驚かじ。

七、
いで大船を乘出して  我は拾はん海の富。

いで軍艦に乘組みて  我は護らん海の國。 

『尋常小学読本唱歌』(明治43年・1910年)​

 歌詞が難しいので、参考までに。

『苫屋:とまや』
 苫(とま)で屋根を葺いた(粗末な)家。
 苫(とま)というのは菅(すげ)・茅(ちがや)などで編んだ、菰(こも)のようなもの云い、小屋や舟を覆って雨露をしのぐのに用います。

『不断の花:ふだんのはな』
 不断草。アカザ科一年草または越年草。高さ約1メートル。葉は大きく細長い卵形で、縁が波形にうねっています。6月ごろ、多数の黄緑色の小花をつける。若葉は食用として利用されます。ホウレンソウに似ていますが比較的季節に関係なく利用できるので『不断草』と呼ばれ恭菜とか唐萵苣(とうぢさ)とも呼ばれています。

『いみじき』
 形容詞で“著しい”とか“重大な”とかいう意味。副詞“いみじくも”と同様、“巧みな”とか“素晴らしい”とかの意味で使われています。

『丈余(じょうよ)のろかい』
 丈余は、一丈あまり。一丈は十尺で、約3メートル。『ろかい』は『櫓櫂』で、和船を漕ぐ道具。

『百尋千尋:ももひろちひろ
 『尋:ひろ』は、水の深さ、縄などの長さの単位。一尋は六尺(約1.8メートル)で、左右に広げ延ばした両手先の間の長さです。『百尋千尋は』、“とっても深い”という意味です。

『腕:かいな』
 腕そのものを云います。

『赤銅:しゃくどう』
 銅に金3~5%を加えた合金で象嵌(ぞうがん)細工などの日本の工芸用に使われます。赤銅色:日焼けした皮膚の色。

『いで』
 感嘆詞で「さあ」とか「いざ」とかいうのと同じ意味です

 

今日から4連休ということで、初日の今日は「海の日」でした。

(木曜日なんですけど・・・・?元々第3月曜では・・・?)

 

もちろん、「海の日」にちなんだ曲ということもあるのですが、明治時代に東大で国文学の教授を勤めた芳賀矢一のことを、例によってネットで調べていた中で、芳賀氏がこの歌の作詞者であるという記述に出会ったからでした。

作詞者・作曲者ともに不詳。ただし宮原晃一郎(本名、宮原知久)(1882年 - 1945年)の娘と芳賀矢一1867年 - 1927年)の義理の娘は、それぞれ自分の父あるいは義父が作詞者だと信ずると述べた。最近では宮原の原作を芳賀が改作したとする説が最も信頼されている[1]

永年作詞者は不詳とされていたが、1989年(平成元年)5月に宮原晃一郎の一人娘の典子が、この歌詞は宮原が小樽新聞記者当時の1908年に文部省の新体詩懸賞に応募し、佳作当選した「海の子」という詩が元になったと主張した。この主張に基づき、歌詞のモチーフとなった海は宮原が生れ育った鹿児島県の鹿児島湾(錦江湾)だとして、湾に面する鹿児島市祇園之洲町 の祇園之洲公園に歌碑が建てられた。しかし実際には宮原が作詞者であるという直接的な証拠が示されたことはなく、錦江湾がモチーフになったという根拠は全くない。一方、芳賀の義理の娘は、芳賀が育ったのも福井の海の近くだったことから、そこがモチーフになっている可能性もあるのではないかと述べた。(Wikipedia

 

もちろん、宮原有力説もあります!

https://archive.ph/20130427115844/http://homepage2.nifty.com/captysd/uminoko.htm

 

戦後、この歌は小学校で習うときは、GHQの指示により3番までとなりました。

ですから、4番以降を知っている人は、戦前に学校教育を受けた方か、こういう方面に興味のある方ということになります。

私の場合は、やっと(?)前期高齢者の仲間入りをしたばかりの若輩者ですから、当然3番までしか習ってはいません。

ところが、音楽、歴史、ミリタリー等、(いずれも大して深くはありませんが)興味があるもので、冒頭にあるような自衛隊音楽隊の演奏動画をよくYouTubeで視聴していました。

そんなことで、この曲の4番以降も知っていたわけです。

海自の歌姫・三宅由佳莉三等海曹の歌唱はいつ聴いても素晴らしいですね!!(陸自の鶫さんも負けず劣らず)

(デユエットされているホルンの男性も堂々たる体躯でいいお声をされていますが、なにせお相手が三宅さんだけにお気の毒・・・)

「われは海の子」には、よく少年少女合唱団の演奏があり、それはそれでいいのですが、こういう吹奏楽と二重唱というのもなかなか得がたいものですね!!

 

※余談ではありますが、映画「トラ・トラ・トラ」(3、4回繰り返し観ました)の中に、山本五十六連合艦隊司令長官を初めとする将官たちの昼食時に乗り組みの海軍軍楽隊が「海」(松原遠く~)を演奏する場面があったように記憶しています。

優雅な別世界だなと思いながら、観ていました。