思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

年の暮れはやっぱり「第九」? その2

www.bing.com

f:id:sf63fs:20191231172747j:plain

朝比奈 隆(1908~2001年・明治41~平成13年)は、大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督を務めた日本の指揮者

 

■ 「朝比奈・第九」の思い出

 昭和62年(1987)か、63年(1988)だったと思います。
三木・第九の指導者であった故・北村信雄先生の神戸土曜会合唱団が例年行われている年末の第九演奏会に、三木からも多数応援(?)に参加したことがありました。
オケは朝比奈隆氏指揮の大阪フィルで、会場は神戸文化ホールでした。

 

朝比奈さんといえば、あの風貌から堂々たる体躯を想像していましたが、練習場に入って来られた氏は、60歳前後(もっと上に見えましたが)中肉中背の紳士でした。

その頃は、その言葉を知りませんでしたが、後によく使われた「オーラ」を発していた指揮者でした。

それまでに小林研一郎氏の練習や本番を経験していたせいでしょうか、朝比奈氏の指揮ぶりには(素人がこんなことを言って大変恐縮ですが)ずいぶんと大味で、なにか適当なところさえ感じられました。
(生前から、リズム感に欠けるなど、様々な辛口の評価があるようですが・・・)
ただ、大御所の登場ということで、練習場にはピーンと張りつめたものが感じられたものです。

 

肝心の本番のことは、記憶から飛んでしまっていますが、当日の演奏を収録した関西テレビの放送を、まだ初期のビデオデッキで録画しておきながら、うっかり消してしまったことはよく覚えています(笑)

 

当日、舞台に上がると、全くの偶然ですが、私はバスパートの最前列。目の前にはバスのソロの方がいらっしゃいました。(三室尭さんだったと思うのですが・・・・。)
ソロが歌われるときは、バスの方がアップになり、どうやら私もついでに映ってしまっていたようなのです。

その番組は、深夜の1時か2時に放映されたはずですが、「映ってましたね」と言った人(誰だったのかが思い出せず・・・)がいて、ちょっと驚きました。

 

クラシック音楽の世界では、東京芸大、古くは音楽学校(の卒業生)にあらずんば人にあらず」みたいなところがあると、同僚の音楽の先生から聞いたことがあります。

朝比奈さんのように、京都帝国大学(法学部)出身でアマチュアオーケストラから出発された方に対する正統派を自任する方々の視線には、常に厳しいものがあったようですね。

コバケンさんのあのテノールの美声と朝比奈さんのあのお声、そして指揮ぶり。

全く対照的なお二人の指揮で「第九」を歌うという貴重な経験をさせてもらったということになりましょうか(笑)

 

※合唱団には、「第九」を何十回と歌ったという方が、結構いらっしゃいます。

私は、通算でわずか4回です。地元でも毎年募集がありますが、どうも正直、気乗りがしません。

その理由については、いずれまた書きたいと思います。