思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「あざみの歌」

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「あざみの歌」  (昭和24年・1949)
作詞  横井 弘
作曲  八洲秀章 



山には山の 愁いあり
海には海の 悲しみや
まして心の花園に
咲きしあざみの花ならば


高嶺の百合のそれよりも
秘めたる夢を 一筋に
紅燃ゆるその姿
あざみに深き我が想い


いとしき花よ汝はあざみ
心の花よ汝はあざみ
定めの径は果てなくも
香れよせめて我が胸に

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この歌を知ったのは、高校に入ってからだと記憶しています。
歌に興味が向いてきた頃でした。
高1の時の担任が音楽の先生で、しかも声楽がご専門。
長年にわたり、各地の第9合唱団や一般合唱団の指導を務めてこられた坂下功一先生でした。
その頃の授業は、鑑賞か理論か歌唱(独唱、斉唱)が主で、合唱の体験はなんと大学に入るまでありませんでした。
1学期末のテストももちろん独唱で、何の歌か忘れましたが、坂下先生から「藤原よ、おまえ音楽部(コーラス部)に入らへんか?」と誘われたときは、正直うれしかったのを覚えています。※部の登録は新聞部でしたが、幽霊部員!
ただ、当時は女子部員ばかりで、女の園に一人飛び込む勇気のあろうはずもなく、3学期に、中学と同じく吹奏楽部に入ってしまいました。

しかし、まあ不思議なもので、勧誘を断ってから11年後に私は母校に転勤し、その音楽部の顧問吹奏楽は副顧問)を以後9年間務めることになりました。

 

話が横道にそれましたが、この歌にはちょっぴり甘酸っぱい思い出もありまして・・・。
それは、高2の秋の南九州への修学旅行のときのことでした。

たしか、宮崎交通の観光バスだったと思いますが、まだ入社してそれほど経っていないガイドさんが、九州地方の民謡を始め、いろんな歌を唄ってくれた中に、この「あざみの歌」がありました。ハスキーな声の持ち主でした。

私はそれまでに、主に我が家の風呂場でしたが(笑)、この歌をよく練習(?)していたものですから、観光バスの中で次々に歌の指名が回ってきたときに、(ガイドさんが歌ってから少し時間は経過していたでしょうが)、失礼にも、この「あざみの歌」を歌ったのです。

歌い終わったときに、斜め前の席に座っていたC子さん(旧姓が私と同じで、吹奏楽部でクラリネットを吹いていました)が「私、その歌気に入ったわ!」と言ってくれました!!

(可愛い顔に似ず、ストレートな物言いをする人でした)

 

ただ、その後の高校生活の中で、C子さんと何があったわけではありません。同じクラブの部員というだけでした。

大学3年の時でしたが、高2のそのクラスだけのクラス会があり、C子さんが短大を出て栄養士として、県の給食センターに勤めているということがわかりました。
その給食センターが私の住む地区のはずれにあり、そんなこんなで(途中経過は省略ですが)、その後半年あまりお付き合いさせていただいたことがありました。

といっても、中国地方の某大学に行っていた筆者とは、主に文通(懐かしい響きですね!)で、春休みに映画(「青春の門」)を観に行ったり、土曜の午後に喫茶店で逢ったりしたぐらいの仲でした。
下宿のおばさんは、頻繁に来る郵便も差出人が同じ名字なので、「家族からだろう」とあまり気にしていなかったように思います。

(携帯のない時代は、なかなか今の方にはわかってもらえない気苦労がありました(;。;))

 

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(別府から阿蘇に向かう途中「やまなみハイウエイ」を通りましたが、それ以外の所では、道路が未舗装で道がかまぼこのようなところもありましたね。)

 

その後は、同窓会で二三度一緒になったぐらいで、昔話をしたことはありませんでした。

卒業後45年が経過した昨年春の同窓会では、幹事から「藤原君に校歌の指揮を頼む」といわれて、恥ずかしながら20年ぶりぐらいに棒(テーブルの上の菜箸だったか?)を振りました。
あとで、C子さんが「藤原君の指揮は47年ぶりやわ」と声をかけてくれました。

47年前の車中のことが思い出された瞬間でもありました。

 

今回は、40数年前のほろ苦い思い出を長々と書き綴ってしまいました。
肝心の歌の由来などは、次回にしたいと思います。

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 関西汽船の別府航路「むらさき丸」
夜に神戸港を出発、翌朝に別府に到着。阿蘇、宮崎の青島、鹿児島の磯庭園などをめぐり、西鹿児島から夜行列車(座席車)で明石へ帰る四泊五日の行程でした。
その頃、私の母校で伝統的に言われていたのが、修学旅中に急ごしらえのカップルがよくできるということ。

カップルは夜の海を眺めながら語らう→デッキ組
私などそれ以外の者は船室でトランプなどしている→船底組

そんな言葉もついでに思い出されてきました。