思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「サリマライズ」

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神戸中央合唱団

(合唱曲/原曲:南アフリカ唱歌『サリーマレー Sarie Marais』)

歌詞(作詞:森田久男)

我がもと 離れ去り行ける 懐かしき友よ

いま再び帰り来たる 我等の元へ

 

ああ懐かしきかな いざ歌わん

麗し花は 野に山に満ち 小鳥も歌う

小川のせせらぎも 楽しげに我等と歌う

 

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例年より早く年賀状の準備をしていたとき、昨年住所の記載ミスで戻ってきた一枚を発見。
30年以上前に同僚だった音楽のI氏宛てのものでした。
氏とは吹奏楽部の主顧問と副顧問(音楽部の副顧問と主顧問)の関係でした。
ふと思い出したのが、たぶん神戸高校出身のI氏が着任して始めたのではないかと思われるコーラス大会(野暮なネーミングですね・笑)と課題曲として設定した「サリマライズ」のことでした。
神戸中央を初めとする神戸の合唱団では、この曲がよく愛唱歌として歌われているということです。
3年ほど前でしたか、当市の合唱祭にゲストで来ていただいた「ハモールKOBE」の皆さんも、終演後にロビーでこの歌を披露して帰って行かれました。

ゆったりと優しいメロディーラインですが、我が国に伝わるに際しては、以下のような経緯があったということです。
中村仁策氏が神戸中央で活躍されたことで、神戸の合唱団から広まっていったことが想像されます。

 

歌い出しの歌詞は「我がもと 離れ去り行ける 懐かしき友よ」(作詞:森田久男)。旧友との再会を喜びかみしめる内容となっている。
『サリマライズ』の原曲である『サリーマレー Sarie Marais』が歌われている南アフリカ共和国は、かつてオランダによって統治されていた。同曲の歌詞はオランダ語から派生したアフリカーンス語で書かれているのもその名残である。

第二次世界大戦中、ドイツに占領されたオランダの兵はロシア軍の捕虜となり、シベリア送りとなった。大勢の日本兵も捕らわていたシベリア収容所では、朝の点呼の際に、オランダ兵たちが『サリーマレー Sarie arais』を声をそろえて歌っていたという。
神戸中央合唱団の指揮者として戦後活躍した中村仁策氏は、当時シベリア収容所に抑留されており、オランダ兵たちが同曲を歌う様子を現場で目の当たりにしていた。
中村氏はオランダ兵からこの曲を教わり、配給された巻きタバコの紙に五線譜を書き留めて密かに保管し、戦後に日本へ持ち帰ることができたという。
多くの日本人がシベリアで命を落とす中、無事に故郷へ帰りつき家族や友人と再会を果たした中村氏。その喜びが『サリマライズ』の日本語歌詞に表されているようで非常に感慨深い。
その後『サリマライズ』は神戸中央合唱団の重要なレパートリーの一つとなり、現在でも関西圏の合唱団を中心に合唱曲の名曲として愛唱されている。

 「有名な合唱曲」http://www.chorus-song.com/popular/sarie-marais.htm

 

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(神戸高校第66会音楽会・合唱コンクール

 

I氏の他にも当時の同僚で神戸高校出身の方にM女史がいましたが、あるとき高校の音楽会(なんと、神戸文化ホールを貸し切りで行っていたとか!寒々とした体育館でのコーラス大会とは大変な違いです)で大中恩の「島よ」をやったと聞いたとき、レベルの違いに唖然としたのを覚えています。
その頃、全国大会の常連だった神戸高校の合唱部のメンバーがクラス合唱の指導をしていたようですが、自分も歌ったことがあるだけに、なおさら驚かされたわけです。

その学校に着任した年、自由曲が決まらない生徒達に、伊丹混声でやったことがある「想い出のセレナーデ」を勧めたことも思い出しました。

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天地真理さんの現在はどうなのかよく知りませんが、この曲を歌った彼ら、彼女たちももう52,3歳になっているはずです。