「渡り鳥」 詞:北原白秋
あの影は渡り鳥、
あの耀きは雪、
遠ければ遠いほど空は青うて、
高ければ高いほど脈立つ山よ、
ああ、乗鞍嶽、
あの影は渡り鳥。
(『水墨集』/アルス/1923年)
去年始めたFacebookで、昭和53年(1978)から4年間所属していた伊丹混声合唱団(残念ながらその後発展的に解消)の指揮者だった井上一朗氏(浄土真宗古刹のご住職)の投稿を毎日のように見ているうちに、氏の(たぶん龍谷大学時代の)お友達の投稿に、この「わたりどり」の記事を見つけました。
伊丹混声では、その頃毎週火曜・金曜の夜7時から9時の練習の最後に、この曲を歌っていました。
(これもたぶんですが、井上氏が龍谷大学のラポール時代から唄っておられたのではないでしょうか)
短い曲で、歌うのにもそれほど難しくはありませんが、いくら繰り返し歌っても飽きの来ないと言うか、歌い終わると気持ちがスーッと落ち着くような、そんなのびやかで感じの良い旋律でした。
このたび、気になってネットでいろいろと調べていくと、この曲は大中恩氏にとっては初めての合唱曲であったようです。
大中恩(おおなか めぐみ)
1924年7月24日、作曲家大中寅二のもとに生を受ける。東京都生まれ。東京音楽学校(現・東京藝術大学)作曲科卒業。その後、歌曲や合唱曲を中心に精力的に創作活動を行う。
1955年中田喜直らと5人で「ろばの会」を結成、童謡と出会う。「サッちゃん」、「いぬのおまわりさん」、「おなかのへるうた」など、長く愛され続ける童謡を数多く創作。1982年には「現代こどもの歌秀作集・大中恩選集」で日本童謡大賞を受賞。「ろばの会」では、2000年の解散まで、45年にわたり子どものための音楽の創造と発展に尽くした。
1957年、自作品のみを演奏する合唱団「コールMeg」を主宰。数々の混声合唱作品を送り出しながら、9夜連続演奏会や日本縦断コンサートなど、ユニークな活動で名声を得る。現在も合唱団「メグめぐコール」、「コールグレース」での活動を続けている。
1960年からJASRACメンバー。
1989年紫綬褒章受章。
「作家で聴く音楽」 https://www.jasrac.or.jp/sakka/vol_37/inner3.html童謡
●サッちゃん
●いぬのおまわりさん
●おなかのへるうた
●バナナをたべるときのうた
●かぜのなかのおかあさん
●すっからかんのかん合唱曲
●わたりどり
●島よ
●かたつむりのうた
●旅に出よう
●水のうた歌曲
●時雨に寄する叙情
●淡月梨花の歌
●晝下がりのジョージ他多数
Wikipediaによりますと大中氏は、
「1942年に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)作曲科入学。学徒出陣で海軍に召集された。1943年の混声合唱曲『わたりどり』(詩:北原白秋)は戦地で果てる覚悟で書いたという」
ことです。
翌年、海軍少尉に任官後、海軍の横浜港湾警備隊へ。特攻兵器「回天」の乗組員として、3度も特攻隊に志願した。
一つ間違うと、戦後の名曲群は生まれなかったわけですね。
昭和の50年代から合唱をやっていた者には、やはり混声合唱曲「島よ」(1970)がインパクトある名曲で、忘れがたい曲には違いないのですが、この「わたりどり」のような小品と違って、気軽に口ずさむという訳にはいきません。
大中氏の作風は、「歌詩に基づく優しいメロディとリズム、美しい語感をたたえた和声が特徴」といわれます。
さすがは、あの「椰子の実」の作曲者である大中寅二氏を父に持ち、幼少期から教会の音楽に親しまれたお方ですね。
「わたりどり」を聴くと、40年ほど前の伊丹市文化会館の練習室の様子や、自宅まで50数キロの道のりを車をとばして帰ったことなどが懐かしく思い出されます。
※2月末から二カ月半ほどコーラスの練習がストップしています。
3月中は、6月末の定演でやる予定のモーツァルトのミサkv220などを練習したりしていましたが、定演中止が決定すると自主練も中止(笑)。
ときどき、無性に昔の合唱曲が聴きたくなる今日この頃です。