(歌:テレサ・テン=鄧麗君)
こんな記事を見つけました。
https://mochizukisana.com/mere-exposure-effect/
なぜ音楽は聴けば聴くほど好きになるのか? ~単純接触効果~ 2020.10.02
音楽は聴けば聴くほど好きになる
先日web記事を読んでいて「単純接触効果」という現象についての文章を見つけました。この「単純接触効果」が原因で、人は「音楽を聴けば聴くほど好きになる」らしいのです。読んでてなかなか面白かったので、今日はその「単純接触効果」についての話。
単純接触効果(mere exposure effect)とは、何かの対象に繰り返し接すると、はじめは興味がなかったり苦手だったものが、接する回数が増えるたびに次第に印象が良くなってくるという効果のこと。
1968年、アメリカの心理学者ロバート・ザイアンスがによって知られるようになった心理学用語です。
ザイアンスの行った実験では、被験者に人物の顔写真を何枚か見せて、その印象を「すごく悪い」から「すごく良い」まで7段階に分けて採点してもらったようです。
実験の結果、同じ人物の写真でも、何回も繰り返し見ていくうちにその人物の印象がだんだん良くなっていくという結果が出たそうです。
「音楽は聴けば聴くほど好きになる」という現象は科学的に実証されているということです。
上の記事の科学的な実証性について云々する知識はありませんが、こと私の台湾懐メロについては当てはまっているように思います
2020年5月14日の本ブログで取り上げたのは、台湾老歌(または民謡と表記されることもあるようです)の中でも、今でも絶大な人気があるという「望春風」でした。
この歌の作曲者・鄧雨賢(1906~1944)には、もう一つよく知られた歌があり、それが今回取り上げた「雨夜花」です。手元にある「世界名歌選集」(ドレミ楽譜出版社)には、台湾を代表する曲として掲載されています。
『雨夜花』(うやか、ウーヤーホエ、台湾語白話字:Ú-iā-hoe)または『雨の夜の花』(あめのよのはな)は、1934年に発表された台湾の民謡。作詞者は周添旺、作曲者は鄧雨賢で、日本統治時代の歌手・純々(劉清香)のヒット曲である。現在は台湾語歌謡のうち、『望春風』と並んで最も代表性のある名曲であると言われる。
この歌の曲はもともと詩人・廖漢臣の童謡・『春』に鄧雨賢が1933年につけたものであるが、この曲を聞いた周添旺は翌年に新しい歌詞をつけた結果、ヒット曲・『雨夜花』が作り上げられた。歌詞は駆け落ちした恋人に振られた後、花柳界に堕ちたある女性の運命を雨の夜の花に喩えたものである。
1938年に台湾総督府の下で、栗原白也が作詞する軍歌・『誉れの軍夫』(霧島昇歌唱)にも改編された。日本国内でも1942年に、西條八十が作詞する、渡辺はま子が唄う『雨の夜の花』に改編された。
戦後はテレサ・テン、鳳飛々、胡美芳、夏川りみなどの歌手によりカバーされた。2002年11月29日に、プラシド・ドミンゴが台湾で開催するコンサートで、江蕙と一緒にこの曲を歌った。
また、この曲に大矢弘子が新たに作詞した歌を、こまどり姉妹が「南国哀歌」として1965年に発表している。(Wikipedia)
雨夜花 u ia hoe ~雨の夜の花
(1934年) 周 添旺 詞 鄧 雨賢 曲
一、 雨夜花 雨夜花
雨夜の花 雨夜の花
siu hong ho chhoe-loh te
受風雨 吹落地
風雨に吹かれて地に落ちる
bo lang khoaN-kiN mi-jit oan-chheh
無人 看見 暝日 怨嗟
振り返ってくれる人もなく日夜怨めしい
hoe sia loh tho' put chai hoe花謝 落土 不再回
花は枯れて地に落ち再び返らない
hoe loh tho' hoe loh tho'
二、 花落土 花落土
花は地に落ち 花は地に落ち
u siaN lang thang khoaN-ko'
有誰人 通看顧
誰が顧みてくれようか
bo cheng hong-ho' go' gun chian-to'
無情 風雨 誤阮 前途
無情な風雨が私の前途を誤らせる
hoe-lui tiau-loh beh ju ho
花蕊 凋落 欲如何
花が枯れ落ちるのをどうすればいい
ho' bo cheng ho' bo cheng
三、 雨無情 雨無情
雨は無情 雨は無情
bo siuN gun e chian-teng無想 阮的 前程
私の行く手を思ってはくれない
peng bo khoaN-ko' loan-jiok sim-seng
並無 看顧 軟弱 心性
もろくなった心も顧みてくれない
ho' gun chian-to' sit kong-beng乎阮 前途 失光明
私は前途の光を失った
ho'-chui tih ho'-chui tih
四、 雨水滴 雨水滴
雨水が滴る 雨水が滴る
in gun jip-siu lan ti引阮 入受 難池
私を受難の池に誘い込む
choaN-iuN ho' gun li hioh li ki
怎樣 乎阮 離葉 離枝
なぜ私を葉や枝から離すのか
eng-oan bo lang thang khoaN-kiN永遠 無人 通看見
永遠に振り返ってくれる人はいない
雨の夜の花 (日本語) 西条八十 訳詞
一、雨の降る夜に咲いてる花は
濡れて揺られて ほろほろ落ちる二、紅がにじんで 紫ぬれて
風のまにまに ほろほろ落ちる三、明日はこの雨 やむかもしれぬ
散るをいそぐな 可愛い花よ四、雨に咲く花 しんからいとし
君を待つ夜を ほろほろ落ちる
さすがは天才詩人・西条八十さんですね。
それに引き比べ、下の歌詞はWikipediaには「改編」とありますが、いくら軍の命令とは言え、とんでもない「改悪」でしょう。
作曲者が、こうした無謀に対して心を痛め、死期を早めたのではないかと思われます。
誉れの軍夫 (時局歌) 栗原白也 詞
一、赤い襷に 誉れの軍夫
うれし僕等は 日本の男二、君にささげた 男の命
何で惜しかろ 御国の為に三、進む敵陣 ひらめく御旗
運べ弾丸 続けよ戦友(とも)よく四、寒い露営の 夜は更けわたり
夢に通うは 可愛い坊や五、花と散るなら 桜の花よ
父は召されて 誉れの軍夫
YouTubeでは、同じ動画を視聴していると、「あなたへのおすすめ」という形で、類似した動画が紹介されます。ソロから合唱、オーケストラなどと様々なバージョンがあるということは、いかにこれらの老歌(懐メロ)が今でも支持されているかということの証拠となるでしょう。
■ そもそも、なぜ「聴けば聴くほど懐かしい」のでしょうか?
隣町の日帰り温泉につかりながら考えてみましたが、よくわかりません。
一晩寝て、ネット上に手がかりを求めていたところ、次のような記事に出会いました。
NHK国際報道2021
2020年10月7日(水)掲載名曲に探る台湾のアイデンティティー
研究者も注目!日本が統治していた時代の台湾音楽
林さんが注目してきた日本の統治時代の台湾の音楽。最近になって掘り起こされる資料も少なくなく、台湾の流行歌がどのようにして作られていたのか、2000年以降から現在にかけて、研究者の間でも調査も進められています。この分野で、約20年間、研究に携わってきた奈良教育大学音楽教育講座教授の劉麟玉さんによると、日本と台湾の人たちが協力をしながらレコードを作っていたことが具体的に分かってきたといいます。奈良教育大学音楽教育講座教授の劉麟玉さん
「1930年代、台湾で発売されていたレコードの多くは、日本資本のレコード会社が発行したものです。当時、日本のレコード会社は日本のレコードをそのまま台湾で売るのではなく、台湾の人たちと一緒に台湾向けのレコードを作っていました。実際に、台湾の歌手や演奏家が東京の日比谷のスタジオまで出張し、レコーディングしていた記録が残されています」
https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2020/10/1007_1.html
上の記事を下に、想像を多分に交えて言うならば、日本統治下の台湾で作られた、今の「懐メロ」には日本人の好み(レコード会社の制作者など)が反映されているのではないでしょうか。
特に、二大名曲の作曲者・鄧雨賢は日本の音楽学校に留学した経験もありますし、台湾で受けた音楽教育でも、日本人教師から指導されたことがあったかもしれません。
日本の懐メロが好きな者にとって、戦前の台湾の歌に何となく懐かしいものを感じ取ってしまうというのは、歴史的なとらえかたをすると、むしろ当たり前のことだったのですね。