思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「浜辺の歌」

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恋路ヶ浜(愛知県渥美半島

「浜辺の歌」   作詞:林古渓 作曲:成田為三
1
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も
2
ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ しのばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも

3
はやちたちまち 波を吹き
赤裳(あかも)のすそぞ ぬれひじし
病みし我は すべていえて
浜の真砂(まさご) まなごいまは

 

林 古渓(はやし こけい、1875年〈明治8年〉7月15日 - 1947年〈昭和22年〉2月20日)は歌人、作詞家、漢文学者、立正大学教授、東洋大学講師。本名は竹次郎。東京・神田出身。哲学館(現・東洋大学)卒。

 成田為三

秋田県出身 明治26年(1893年)12月15日生 昭和20年(1945年)10月29日没
「浜辺の歌」「かなりや」「雨」などの作品で知られる作曲家。秋田県北秋田郡森吉町に生まれる。
 1914(大正3)年、上野音楽学校に入学し作曲を学ぶ。その当時に作られ、のちに彼の代表的な1曲となる作品が「浜辺の歌」である。同校卒業後、白秋ら雑誌『赤い鳥』の主要メンバーと交流がはじまり、「かなりや」「赤い鳥 小鳥」などの作品を残した。
その後ドイツに留学、帰国後は国立音楽学校や東洋音楽学校で教鞭をとった。著書に『作曲の基礎』『楽器編成法』などがある。

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「浜辺の歌」を聴いたことのない人は、まずいないのではないでしょうか。
私もたぶん小学生の頃から聴き知ってはいますが、長じて合唱をやるようになり、日本歌曲への関心を持つようになると、普段あまり歌われない3番の歌詞が気になるようになりました。

1番、2番もそれなりに難しい歌詞ではあります。
若い人たちに限らず、多くの人にとっては、例えば「もとおれば」(もとほる)は高校時代に古文でも習ったことがない言葉だと思われます。
まあ、普通は1番で「あした(朝)~さまよえば」とあるので、「夕べ(夕方)~歩き回る」ぐらいは推測できるでしょうが・・・。
YouTubeなどでいろんな歌唱を聴いていると、「もとおれば」ではなく「もとほれば」とそのまま歌っているのがあって、古文で言う「ハ行転呼音」(歴史的仮名遣いにおいて、語中・語尾のハ行の仮名がその本来の発音から転じてワ行音に発音されること)を知らないのか、お粗末!と思ってしまいます。

 

さて、問題の3番の歌詞ですが、いくつかこの難解な歌詞について解説しているサイトを見たところ、次のような解説が最も説得力があるようです。

「二木紘三のうた物語」    http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/01/post_e4b4.html

鮎川哲也編『唱歌のふるさと 旅愁』(音楽之友社 平成5年〈1993〉)に古渓の子息・林大へのインタビュー記事が載っています。そこで彼はこう語っています。

「(初出雑誌に発表されたとき)歌詞の三番の前半と四番がくっつけられていまして、これでは意味がとおらん、とおやじは言っていました。後にセノオ楽譜から出版されたのですが、版権なんかは無視された時代ですから、おやじのもとには連絡もきません。いつだったかおやじに、思い出したらどうかと言いましたら、忘れちゃったよ、という返事でしたがね」

実際、3番を見ると、前2行と後2行の内容には飛躍があり、不自然な感じがします。
もう1つの問題は、最後の行で「真砂(マナゴ) まなご」と同語を繰り返していることです。ここでトートロジー(同語反復)を使う必然性はまったくないし、それを使うことによって、1番・2番との修辞上の整合性がくずれています。明らかに編集者の誤記です。

このように、作者に断りもなく詩や文章を改編してしまうことは、現代ではほとんど考えられません。当時の著作権意識の希薄さがうかがい知れます。
また、学友会誌というアマチュア雑誌だったこともあって、校閲作業もほとんど行われなかったと思われます。

歌詞を現代語訳したものの中には次のような例もあります。

3番
 急に突風が吹いて波を吹きあげ
私の着物の赤いすそはびっしゃりとぬれてしまった
大病を患った私は 今はもうよくなったけれど あの子は今はいない
浜辺の小さな砂 私の小さなあの子は元気でいるのかしら 会いたい・・
 http://wwwb.pikara.ne.jp/cosmoon/hamabenouta.html

 

また、専門書にも次のような解説があります。

 「まなご。まさご」は、細かい砂のことで、永遠に絶えないもののたとえとしても用いられます。ここは、「自分は、これから先ずっと、昔の恋、昔の恋人を思いつつ、この浜辺の、寄せては返す波にさまよう砂のように、ここにさまよい続けるだろう」とうたっているのです。
 『日本名歌曲百選 詩の分析と解釈』(畑中良輔監修・黒沢弘光解説、1998年、音楽之友社、54ページ)

たしかにロマンチックな解釈ではありますが、元々のこの歌の成立の経緯を知ると、「ウーン、ちょっと無理があるかな!」と思ってしまいます。

 

まあ、そんなこともあって、普通は三番は歌われないのですね。

 

※日本歌曲を歌っているソプラノ歌手というと、YouTubeなんかではMMさんの動画が結構アップされているようです。

正直に言わせてもらうと、私にはあの方の「粘っこい」日本語の発音が気になって、あまり聴く気にはなりません。外国の歌曲、オペラなどで本領を発揮される方だと思っています。

その点、若い頃ファンクラブにも入っていた鮫島有美子さんの歌唱は、「柔らかくて」「あっさり」していて、それなのに「深み」のあるところが素晴らしいですね!!