歌:鮫島有美子
■ 歌詞の勘違い
夕焼小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか十五で姐や(ねえや)は 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた夕焼小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
昔からよく言われていることですが、1番の「負われて」を「追われて」という勘違いが、子どもの頃の私にもありました。
赤とんぼに追いかけられるシーンなんて、まずあり得ないわけですが、「背負われる」ならまだしも「負う」(負われる)という言葉がピンと来ませんでした。
「十五で姐や(ねえや)は~」という部分も、今の若い人たちにはわかりにくのではないでしょうか。
「姐や」を「姉」ととってみたり、「十五」は作者が十五歳の時と解釈する人も多いことと思います。
言うまでもなく、「姐や」は子守の女中奉公に三木家に来ていた少女のことです。
三木露風の祖父は旧龍野藩士で初代龍野町長を務めたような人でした。
露風の母も元鳥取藩家老の娘さんだったということで、「実の母が我が子を負ぶって~」などということは到底あり得ない家柄だったのです。
幼い露風を子守してくれた女性(北隣の宍粟郡:現在の宍粟市出身)が15歳で嫁入りし、嫁ぎ先からの便りもぷっつりとなくなったというのが三番の歌詞です。
■ 高低アクセントと旋律の関係
山田耕筰という作曲家が、日本語の歌詞の高低アクセントに忠実に作曲をしたというのはよく知られています。
ところが、この曲の「赤とんぼ」の部分については、昔からいろいろな議論があるようです。
「あか」(赤)だけですと、確かに上のような音程(高→低)となると思われます。
しかし、「赤とんぼ」となると、普通は「あ“かと”んぼ」と「かと」の部分を高く発音するのではないでしょうか?
このことについては、作曲された昭和の初めころの東京では「“あ”かとんぼ」と「あ」の部分が高く発音されていたから、作曲者はそのようにしたのではないかというのが有力なようです。
私たち素人にはそれ以上何も言えませんが、当地方では「あ」を高く発音すると、「赤」ではなく「垢」のことになるので、やはり気にはなりますね。
※ そもそも、一番の歌詞の冒頭「夕焼け小焼け」の「小焼け」って、どういう意味なんでしょうか?
手元にある『日本国語大辞典13』(小学館)と『新明解国語辞典』(三省堂)
でこの言葉を引いてみました。すると・・・
日国:「こやけ」は語調を整えるために添えたもの。「ゆうやけ」に同じ
新明解:夕やけがだんだん薄れること
私的には、上の解釈が妥当ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
例えば、「大波小波」、「大寒小寒」(おおさむこさむ)、「仲良しこよし」などという言い方がありますし・・・。