思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 夏の全国高等学校野球選手権大会『大会行進曲』

夏の全国高等学校野球選手権大会『大会行進曲』 - YouTube

 コロナ禍で1年伸びたオリンピックでしたが、なんとか無事に(?)終わりました。
 直後にやってきた台風9号の影響で、1日遅れで夏の甲子園大会が今日8月10日から始まりました。

 

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2019開会式


 開会式の行進曲は春のセンバツとは違い、毎年同じ曲が演奏されていますが、これが日本の音楽史上屈指の大作曲家・山田耕筰氏の作曲であるとは知りませんでした。
 小学生のころから、つい8年前(西脇工業出場時)まで、幾度も訪れた夏の甲子園ですが、開会式はテレビで観るぐらいでした。
 (娘が高校時代に所属していた放送部の仲間の一人が、開会式のアナウンスに抜擢されたときは、特に注目して観た記憶はありますが・・・。)

 

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山田耕筰(明治19~昭和40年・1886~1965)

 この曲は昭和10年(1935)の「全国中等学校優勝野球大会」第21回大会から使われているそうで、86年も使われているのですね。

 曲の雰囲気的には、何か昔のドイツの行進曲を思わせるようなところがあるように思います。
 米英独仏の行進曲の違いが言えるだけの知識はありませんが、重厚感の中に溌剌とした躍動感のある曲の作りと言えるのではないでしょうか。
 春のセンバツのほうは、例年ヒット曲をアレンジした行進曲が使われると対照的です。 

 それぞれの主催者(毎日と朝日)の意向によるものなのでしょうか?

 

 本ブログでは、一年余り前に古関裕而氏の栄冠は君に輝くを取り上げたことがありました(https://sf63fs.hatenadiary.com/entry/2020/07/21/181018
)が、古関氏と彼が師と仰いだ山田氏の曲が毎年、夏の甲子園に流れていたとは! 
 そのあたりのいきさつは、以下の記事が詳しく報じています。

www.nikkansports.com

 また、この曲に歌詞がついているのも初めて知りました。

「全国中等学校優勝野球大会行進歌」

   作詞 富田砕花

   作曲 山田耕筰

百練競える この壮美

羽搏(はばた)け 若鷹 雲裂きて

溢るゝ感激 迸(ほとばし)る意気

今日ぞ晴れの日 起(た)て男児

※掲ぐるほこりに 旭日 映えて

球史燦(さん)たり 大会旗

 

烈々火燃ゆる この闘志 撩乱 華咲け 技冴えて

溢るゝ感激 迸る意気

今日ぞ晴れの日 往け男児

※以下同じ

 

優勝確たる この飛躍

毅(つよ)かれ 若獅子を浴びて

溢るゝ感激 迸る意気

今日ぞ晴れの日 捷(か)て男児

※以下同じ

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富田砕花(明治23~昭和59年・1890~1984、芦屋市ホームページ)

 ※さすがに、これは戦前のイメージですね

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 https://www.youtube.com/watch?v=5YWmmZnnSfM

♪ 「ラジオ体操の歌」(藤山一郎)

www.youtube.com

平成4年(1992)80歳とは思えない若々しいお声

 

「ラジオ体操の歌」
藤浦洸作詞・藤山一郎作曲

 

新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三

 

新しい朝のもと 輝く緑
さわやかに手足伸ばせ 土踏みしめよ
ラジオとともに 健やかな手足
この広い土に伸ばせよ
それ 一 二 三

 

 

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戦後の昭和20年代の写真でしょうか?

 今朝、6時過ぎに起きて食堂のラジオをつけると、ちょうどラジオ体操の開始の音楽が流れてきました。

 自分が小学生のころには、まだ村に子供会もなく、自分たちの子どもたちが夏休みにお宮の境内でやっていたラジオ体操に行ったことはありませんが、この歌だけは知っていました。

 ネットで調べてみると、「ラジオ体操の歌」も、この歌で3代目だそうです。

「ラジオ体操の歌」
・初代   作詞:小川孝敏 作曲:堀内敬三 歌:内田栄一
 昭和6年(1931)8月
・2代目  作詞:脇太一 作曲:大中恩 歌:藤山一郎コロムビア合唱団
 昭和26年(1951)9月
・3代目  作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎、歌:藤山一郎コロムビアひばり児童合唱団
 昭和33年(1958)6月(郵政省簡易保険局・NHK制定)

 ラジオ体操の歴史については、

www.jp-life.japanpost.jp

 この歌については、耳にすることはあっても口に出して唄うことは、まずありませんが、明るく爽やかで、無理のない素直で伸びやかな旋律は、藤山さんの張りのあるバリトンのお声と共に、我々世代にはとても懐かしいものです。

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 また、ラジオ体操第1、第2ともに、著名な作曲家による伴奏が付けられています。

 前奏に誘われて、思わず体が動いてしまいそうになる、われわれ日本人の体の奥深くに刻み込まれた旋律とでも言うことができるのではないでしょうか。

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服部正作曲 昭和26年(1951)

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團伊玖磨作曲 昭和27年(1952)

 なかなか上手く表現できないのですが、前屈、後屈、ひねり、屈伸といった

様々な動きと音楽の絶妙な組み合わせによって、何十年経っても(指導者の掛け声はありますが)勝手に体が動いてしまうというあたりにも、ラジオ体操の素晴らしさがあるように思います。

 

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 作詞の藤浦洸さん(明治31~昭和54年・1898-1979)といえば、まだ白黒テレビの時代、NHKのテレビ番組「私の秘密」のレギュラーとして出演されていた、眼のギョロッとしたオジサンという印象が強いですね。

 氏の代表的な作品には、以下のような曲があります。

昭和12年別れのブルース」  唄:淡谷のり子  作曲:服部良一

昭和14年「一杯のコーヒーから」 唄:霧島昇&ミス・コロムビア 作曲:服部良一

昭和17年「南の花嫁さん」  唄:高峰三枝子  作曲:任光

昭和19年「月夜船」  唄:近江俊郎  作曲:古賀政男

昭和21年「別れても」  唄:二葉あき子  作曲:仁木他喜雄

昭和25年「東京キッド」  唄:美空ひばり  作曲:万城目正

昭和25年「水色のワルツ」  唄:二葉あき子  作曲:高木東六

  中でも、「水色のワルツ」はクラシック畑の作曲家・高木東六さんの格調高い旋律で、今も色あせない名曲です。大ファンの鮫島有美子さんの歌唱を聴くと、わたしなどうっとりとしてしまいます(笑)

 

※前回のアップから40日ほど経ち、連日の猛暑、酷暑の最中ですが、朝から爽やかな音楽に出会い、田んぼの草刈りもはかどりました。

♪ 「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」(アンジェラ・アキ)

手紙 〜拝啓 15の君へ〜【東京混声合唱団】混声4部合唱版 - YouTube

 

 

手紙 ~拝啓 十五の君へ~

アンジェラ・アキ

 

拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう 
十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです
未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう

今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
今を生きている

 

拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです
自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続けられば見えてくる
荒れた青春の海は厳しいけれど
明日の岸辺へと 夢の舟よ進め

今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
苦くて甘い今を生きている

人生の全てに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて
Keep on bilieving

 

負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を神事歩けばいいの?
ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう
今を生きていこう

 

拝啓 この手紙読んでいるあなたが
幸せな事を願います 

 いつかも書きましたが、夕食後はだいたいYouTubeタイム!きまったジャンルがあって、その日の思いつきで気ままに観ていますが、音楽では東京混声のコーラスが多いですね。
 中でも、最近繰り返し聴いているのが(あなたへのオススメとして出てくることもありますが)、この「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」で、この東京混声の演奏が大変気に入っています。コーラスの方は、本邦最高峰ということで、言うまでもないのですが、鈴木慎崇(よしたか)さんのピアノ伴奏は、第一音から魅了されるほどの素晴らしさ!!

※指揮のヤマカズさんといい、ピアノの鈴木さんといい、なんと言えないイイ表情ですね!

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手紙 〜拝啓 十五の君へ〜
 2008年のNHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲として書き下ろされた『手紙』(編曲:鷹羽弘晃)を自身の歌唱用にアレンジした曲(編曲は自身が担当)で、調はハ長調から変イ長調と課題曲より半音4つ分(長三度)低くなっている。曲は自分自身が15歳の時に自分宛に書いた手紙が、30歳の誕生日に母親から届いたことをきっかけに作られた。歌詞では15歳の「僕」が悩みを未来の自分に宛てて、“手紙”を書くことによって今を生きていくということを表している。(Wikipedia

  所属する「ほぼシルバー合唱団」でも、別の編曲でしたが、2.3年前に定期演奏会でこの曲を歌いました。
 そのときに感じたのは、高齢者には(若いときから楽器や歌をやっていた人は違うのでしょうが)、全体を通して繰り返し現れるシンコペーションの軽快なリズムに乗れないということでした。
 元々が、Nコン・中学生の部の課題曲ですし、15歳の中学生からは祖父母の世代に当たるわけですから、無理もないと言えないこともないのですが・・・(笑)

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赤丸のようなパターンが繰り返されます

 それにしても、こんな素晴らしい曲が課題曲であったというのはうらやましいですね。
 2008年といえば、25年余の長きにわたり、コーラスから離れていた期間のことで、課題曲になっていたとは知るよしもありませんでした。

 30数年前に高校の部の課題曲として、よく歌ったのは「さようならの季節に」(作詞:吉沢久美子、作曲:坪能克裕、昭和61年度・1986課題曲)でした。
 部員の中には、「これは自殺の歌だ」などという者がいたことも思い出されますが、これもたまにYouTubeで視聴しますと、思わず「両手が動いている(笑)」ようなことで、今はもう50代半ばになっている人達の当時の面影が浮かんだりします。

 

 これも色々調べていて分かったことですが、2015年には新垣結衣さんの主演で映画化されていたのですね。ぜひ観なくては!!

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♪ 「川の流れのように」

混声合唱曲「川の流れのように」―見岳章(編曲・藤林由理) - Bing video

(合唱 京都エコー)

川の流れのように
秋元康作詞・見岳章作曲

1
知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷(ふるさと)が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく
空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ

2
生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢 探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかは また 晴れる日が来るから
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように 移り行く
季節 雪どけを待ちながら

3
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら

  例年なら、田植えが終わったこの時期から三週間程あとに、所属する混声合唱団の定期演奏会が催され、いよいよ練習もラストスパートとなるのですが、昨年の3月からコロナ禍で活動は休止のまま。再開のめどは立っていません。

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2019年の定期演奏会

 昼間の農作業の疲れを癒やすのは、夜のYouTubeタイム」!!あれこれ気ままに好みの曲をアトランダムに聴いています。
 定期演奏会との関連でいえば、数年前に唄ったこの曲。珍しく、男性パートが「♪知らず知らず~」と出だしから、メロディーを歌わせてもらえる(笑)編曲になっていました。 

 曲の途中で、バスパートにもお情けで(?)主旋律が廻ってくることはありますが、出だしからというのは、なかなか珍しいことなのです。
 だからという訳はありませんが、この曲は忘れがたい一曲になっています。
 歌詞の方も、熟年向けのとでもいいましょうか、前期・後期の高齢者主体の私たちの団には、身を以て実感できる内容ですし、旋律にも特に唄いにくいところがないのも気に入っている理由です。
 私の場合、正直申し上げて、若い頃は美空ひばりさんの歌はそれほど好きではありませんでしたが、晩年の「愛燦燦」とこの歌については、やはり年のせいでしょうか、その良さがしみじみと分かるようになってきました。

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 今更いうまでもなく、美空ひばりさん最後のシングルということで、ご本人はそれほどの回数を唄ったわけではないそうですが、その分、性別やジャンルに関係なく、ずいぶんと多くのミュージシャンがカバーされており、それらもYouTubeで楽しむことが出来ます。
 中でも、合唱編曲バージョンと、「三大テノール」の一人であるホセ・カレーラスの歌唱が好きで繰り返し聴いています。
 スケールの大きな楽曲なので、オーケストラをバックに朗々と歌い上げるというのが、よく似合っているように思います。

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https://www.youtube.com/watch?v=Ne_N9Zwpzbs

 

 発声練習用のCDを車の中にいつも置いているのですが、なかなかそれを使って練習しようかという気持ちが起こらない昨今です。

 いつまで続くか分からない合唱ブランクの間も、せめてもいい歌をたくさん鑑賞していきたいと思っています。

♪ 「海を越えて友よ来たれ」(1964東京五輪愛唱歌)

www.youtube.com

(前半:「東京五輪音頭」、4分13秒から「海を越えて~」唄:藤山一郎

 

 東京オリンピック開催予定日まで二ヶ月を切りました。依然として先行きに不透明な部分が多く、選手、関係者の「やきもき度」は頂点に近くなっているのではないでしょうか。
 スマホでネットニュースでも見ていたとき、たまたま記事中にあった「より速く より高く より強く」の文言から、この歌が思い出されました。
 この部分のメロディーははっきり思い出されたのですが、曲名は勿論、歌全体の旋律は出てきません。
 「より速く より高く より強く」で検索して、タイトルのような曲名であったことがわかりました。
 

 この歌は今から8年ほど前に当時の安倍首相(たしか一つ年上?)が歌ったというニュースも、おぼろげながら甦ってきました。
 

★安倍首相、歌って五輪招致

 安倍晋三首相は4日、来日中の国際オリンピック委員会IOC評価委員会メンバーを歓迎する行事で、1964年の東京五輪に向けて作られた歌の一節を高らかに歌い、2020年夏季五輪の東京招致に懸ける熱意を示した。
 首相が歌ったのは、63年に発表された「海をこえて友よきたれ」(土井一郎作詞、飯田三郎作曲)のさびの一部。当時小学生だった首相は「今でも歌詞を覚えている」と前置きし、左手を高く掲げながら、原曲よりゆっくりとした調子で歌った (典拠不明の記事ですが・・・)

 

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「海をこえて友よきたれ」
作詞:土井一郎、作曲:飯田三郎、編曲:冨田勲 1963年(昭和38年)

1. 海を越えて 友よ来たれ
   明け渡る 山に川に
   若さ溢れ 力溢れ
   より速く より高く より強く
   大地蹴る 響き高く 
   あぁ 東京 東京オリンピック

2. 空に駆けり 水に踊り
   花開く 技を競え
   若さ溢れ 命溢れ 
   より速く より高く より強く
   日本の 風は光る
   あぁ 東京 東京オリンピック

3. 聖火燃えて 誓う平和
   万国の 旗の下に
   若さ溢れ 夢は溢れ 
   より速く より高く より強く
   未来への 虹を架ける
   あぁ 東京 東京オリンピック

 

   前の東京五輪当時、私は田舎の小学校(といっても全校で800人はいた大きな学校でした)の3年生。前の年から、三波春夫さんの東京五輪音頭」がテレビラジオで盛んに流れていました。
 この「海を越えて~」は学校で教わった曲だったでしょうか、同世代の方のあるブログに次のような記事がありました。

 さて、この『海をこえて友よきたれ』(作詞:土井一郎、作曲:飯田三郎)は、1964年の東京オリンピックをテーマにした歌で、63年に発売されています。オリンピックと言えば先ず三波春夫の「東京五輪音頭」ですが、当時の小学生は学校で、この「海をこえて~」か、「この日のために」のどちらかを歌わされていたので、同世代の中にも「海をこえて~」派と「この日の~」派があります。 
 この「海をこえて~」はNHK関係の曲で各レコード会社競作だった様ですがYouTubeでは藤原良と高石かつ枝とのデュエットによる爽快な歌で、オリンピックの高揚感を伝えてくれます。特に、曲の半ばのより速く、より高く、より強く~♪のところでグッと盛り上がります。

https://ameblo.jp/novausagi0116/entry-11483870297.html

 

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高石かつ枝 藤原良

 この方のおっしゃるように、「曲の半ばのより速く、より高く、より強く~♪のところでグッと盛り上がります」というのは、私も全くの同感です。
 この旋律がここ二三日、耳から離れません(😀)
 その頃の私は、歌が苦手で(好きでしたが)とても人前では歌えなかったのですが・・・・

 子どもの頃の感性というか記憶というのは素晴らしいですね!

 あれからもう60年近くが過ぎようとしていますが、はっきりと脳裏に刻まれてしまっています。

 今度のオリンピックに関しては、大会に関係するマーチや歌などが、まったくどこからも聞こえてきません。

 コロナ禍の真っ最中とはいえ、寂しいことではありますね。

 

※冒頭の「東京五輪音頭」は多くの歌手が唄ったそうですが、藤山一郎さんのは初めて聴きました。やはり、藤山さんには、こういう音頭調の歌は似合いませんね(;。;)

♪ 「雨降りお月さん」

https://www.youtube.com/watch?v=FFPei6yDzvg

はいだしょうこ

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野口雨情作詞・中山晋平作曲/大正14年

1番(雨降りお月さん)
雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
お馬にゆられて 濡れてゆく

 

2番(雲の蔭)
いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
手綱(たづな)の下から ちょいと見たりゃ
お袖でお顔を 隠してる
お袖は濡れても 干しゃ乾く
雨降りお月さん 雲の蔭
お馬にゆられて 濡れてゆく

  平年よりも20日以上早く、近畿地方梅雨入りしたようです。
 五月晴れの期間は短く、雨で黒くなった田んぼに雑草の緑が目立ち、気になるのは耕作者だけでしょうが、週明けは蒸し暑く、鬱陶しいスタートとなりました。
 「雨」にかかわる楽曲は、これまでにもいくつかとりあげましたが、今回はふと浮かんだ懐かしの童謡から「雨降りお月さん」です。
 幼児の頃は、「あめあめふれふれ かあさんが~」という出だしの「あめふり」のほうは歌ったでしょうが、こちらは歌詞も旋律も難しく、もっぱら聴くばかりであったように思います。
 今回、ネットで色々と調べてわかりましたが、なかなか「擬人法」には気がつきませんでした。(あなたは元々何の教師やったの!?と云われそうですが)

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野口雨情・茨城県北茨城市ホームページ

「野口雨情記念館 湯本温泉 童謡館」https://www.iwaki-cc.ac.jp/douyou/ame.html
ホームページの説明が歌の背景も含めて分かりやすかったので、以下に挙げておきます。 

雨降りお月さん

 「雨降りお月さん」は大正14年(1925年1月)にできた作品です。
詩を読むだけでも切ない感じをうけます。
 この歌詞は、太陽や月のまわりに見える輪のような光を暈といい、月の暈がかかることをお月さんが傘をさす、といいます。そしてお月さんが暈をさすと翌日は雨になるといわれています。この歌は、かさをさしたお月さんを現実に踏まえて、幻想的にうたったものです。
大好評
 最初に作られたのは1番だけでしたが、その後2番が新たに付け加えられました。1番と2番は別々に作られた違う曲で、旋律を微妙に変えているのです。  最初は、題名を「雨降りお月」としていましたが作曲者の晋平の要望で「さん」をつけて発表しました。 この歌は子供たちから大好評であり大人もじゅうぶんに楽しめる曲です。
しきたり
 雨情の孫、野口不二子さんによると、雨情夫人ひろから興入れの日は雨が降っていて、栃木県塩谷郡喜連川(きつれがわ)から馬で2日もかかって来たという話しを聞かされていたそうです。当時この辺りのしきたりでは、花嫁は馬に乗って婚家に嫁ぎ、花婿や村人たちは、家の前で行列を迎えたそうです。
ひろも、しきたり通りに馬に乗って野口家に嫁ぎました。しかし、その日は、あいにくの雨でした・・・。
 迎えた雨情は、白無垢姿の花嫁の濡れた綿帽子を心優しくはずしました。これが、2人の初めての対面でした。この詩はそのときのことを歌ったものです。
  お嫁さんは、新しい生活への希望に満ちて、凛として馬に乗って嫁いできたことからこの詩は、雨の中を、遠く長い道のりを濡れながらやってきた花嫁に対するねぎらいの思いを歌ったものなのです。

  作詞家・作曲家の俗にゴールデンコンビというのがあります。
 「北原白秋山田耕筰」とか、「西条八十古関裕而」とか、まだまだあると思うのですが、この「野口雨情・中山晋平という組み合わせも音楽史上に残るゴールデンコンビです。
 我々世代には懐かしい次のような歌があります。

「兎のダンス」(ソソラ ソラ ソラ うさぎのダンス~)
「証城寺の狸囃子」「あの町この町」(あの町この町 日が暮れる 今きたこの道 帰りゃんせ~)
「黄金虫」(黄金虫は金持ちだ~)
「シャボン玉」「波浮の港」(磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る~)

 

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中山晋平記念館ホームページより

 「雨」にまつわる楽曲が多いのは、やはり自由に外出もできず、家に籠もって内省的になり、そういう状況から詩想や旋律が浮かんでくるからなのでしょうか?
 古今東西を問わず、心に残る曲が多いように思います。
 この記事もタダタケさんの「雨」をYouTubeで聴きながら書きました(笑)

 

♪ 「モルダウ」初めて聴いた外国のオーケストラ

www.youtube.com

 日曜日の朝は、NHKラジオで「音楽の泉」を聴きながら朝食、と言うといかにも優雅な生活のように聞こえますが、いつもせいぜい初めの10分かそこらで、次の支度に。
 今朝は、ドボルザーク「新世界」ー(管弦楽ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、(指揮)小澤征爾ーが流れていました。

 ふと思い出したのは、初めて外国のオーケストラを聴きに行ったときのことでした。
 昭和49年(1974)か50年(1975)、広島での大学生活1年目か2年目の春でした。
 ヴァーツラフ・ノイマン (Václav Neumann, 1920年9月29日 - 1995年9月2日) 指揮のチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を聴きに行きました。
 懐に余裕があったのか、割と前の方の席でした。プログラムはおそらく、モルダウ」と「新世界」という、地方公演によくある定番の組み合わせだったのではないでしょうか。
 

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 会場は広島郵便貯金ホール。まだ出来て間もない、ずいぶんと音響効果の良いホールだったそうです。
 それまでに「生」で聴いたことがあるのは、中学生の頃に町の小学校の体育館で聴いた大阪フィル朝比奈隆指揮、これもたぶん「新世界」)と、高校2年の時に近くの中学校の芸術鑑賞で聴いたNHK交響楽団の小編成(20数名?)が演奏した「運命」ぐらいでした。

 

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 さて、モルダウは、「モルダウの最初の源流」を描写したフルート、クラリネットによる例の序奏から徐々に楽器が増えて、いよいよ弦楽器によるあの有名な主題が演奏されるわけですが、その瞬間の迫力のある弦の響きは、それまでに体験したことのない、体が震えるような感動的なものでした。 

 

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 古くほこりをかぶったファイルに綴じている昔のコンサートのパンフレットを探していたら、昭和63年(1988)にも姫路への来演時に聴きに行っているのですが、記憶に残っていません。
 それほど、初めてのチェコフィルの響きは印象深いものだったわけですね。

 長かった独身時代に、もっといろいろと聴いておくべきだったと今になって思います。
 暇も出来て、聴きに行こうと思えばいつでも(?)行ける境遇ではありますが、近年は音楽でも落語でもYouTubeで、というのが普通になってしまいました(笑)

 しかし、前期高齢者ともなると、なかなか没頭して視聴するということが少なくなります。

 やはり、安直に得られる感動なんていうものは、期待してはいけませんね(笑)