思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「すかんぽ(酸模)の咲く頃」(童謡)

「宮崎の季節がほらね!」(https://www.nekoton.com/entry/2019/04/25/060000)より

www.youtube.com

歌:ボニージャックス

「酸模(すかんぽ)の咲く頃」 北原白秋 作詞、山田耕筰 作曲

昭和5年(1930)発表

 

土手のすかんぽ ジャワ更紗
昼は 蛍がねんねする

僕ら小学尋常科
今朝も通ってまた戻る。

すかんぽ すかんぽ 川のふち
夏が来た 来た ドレミファソ

※原詩では「一年生」は「尋常科(じんじょうか)」となっていた。

 

京文社編輯部 編『アワーソング・ブツク : 第1・第2・第3私達の唱歌
京文社、昭和8年(1933) 国立国会図書館デジタルコレクションより

 五月に入って、長い間ほったらかしで伸び放題になっていた農道や田の畦の雑草を刈り始めました。
 今年はやたらとスイバ(地方によってはギシギシスカンポなど)が目立っています。
 そういえば、30数年も前のこと。不世出のソプラノ歌手・鮫島有美子さんのCDをよく聴いていた頃にスカンポを歌った曲があったなと調べてみると、これがなんと山田耕筰北原白秋というゴールデンコンビニよる童謡だとわかりました。

山田耕筰(左)北原白秋(右)「白秋記念館」ホームページより

 短くて、歌詞も分かりやすい、そして歌いやすい曲なのですが、初めて聴いたときから気になっていたのが、「土手のすかんぽ ジャワ更紗」という一節です。
 「ウーン? なんで、ジャワ更紗なの?」と、やはり多くの人がブログ等でこの素朴な疑問を発しておられます。
 一言で言ってしまうと、図柄や色合いの連想ということなのでしょうか。
 南蛮趣味のあおりだった白秋さんは、ひょっとしてジャワ更紗がお気に入りだったのかも知れません。

ジャワ更紗(Wikipedia

  あちこちのサイトでスイバの食べ方が紹介されています。往事茫々で甚だ頼りないのですが、60年近く前の小学生は道端にはえているその茎をしがんだことがあるかも知れません。

♪ アイルランド民謡「春の日の花と輝く」

www.youtube.com

演奏:東京混声合唱
 

  春の日の花と輝く 

(原題:Believe Me, If All Those Endearing Young  Charms)
《訳詩:堀内敬三
1.春の日の花と輝く うるわしき姿の
  いつしかにあせてうつろう 世の冬は来るとも
  わが心は変わる日なく おん身をば慕いて
  愛はなお緑いろ濃く わが胸に生くべし

2.若き日の頬は清らに わずらいの影なく
  おん身今あでにうるわし されど面(おも)あせても
  わが心は変わる日なく おん身をば慕いて
  ひまわりの陽をば恋うごと とこしえに思わん

≪解説≫
この歌はアイルランドの古い民謡(1600年代中頃)にアイルランドの国民的詩人トーマス・ムーア(Thomas Moore 1779~1852)が作詞したもので、作曲者は不明です。この曲はこの他にもさまざまな歌詩がつけられています。

 

 2ヶ月ぶりの投稿となりました。桜の時期もとっくに過ぎ去り、青葉が目にまぶしい季節が迫りつつあります。

 先日、ふとしたことがきっかけで、20台後半から30台半ば頃まで所属していた隣町の混声合唱団を主宰していたT女史の甥にあたるという方と電話でお話しすることがありました。

 そのことから思い出されたのがこの曲でした。その団で歌ったのではなくて、ソプラノのある女性とお付き合いしていたときに、一度だけ神戸文化ホールへ、あるレベルの高い混声合唱団の定期演奏会を一緒に聴きに行ったときの曲目の一つでした。

 その人は、団員の皆さんが本当に楽しそうに伸びやかな歌声を披露されているのに、いたく感心の体だったのをよく覚えています。(訳詞の内容は必ずしもそうではないようですが・・・)

 

 30台半ばから定年まで、コーラスとは無縁の生活を送っていましたが、退職直後に入った市内の混声合唱団に、なんとその彼女が隣の市から通っていたのです。
 あれから30数年。今や大企業の社長夫人になっていました。(知らない人にはごく普通の、失礼ながら田舎のおばさんにしか見えないでしょうが・・・)

 ここまで書いて、その女性に関連した曲がもう一つ思い出されてきました。
 旅行先(たしか信州だったような・・・・)からもらった絵はがきに書いてあった「山が 遠くから 人の心を とりこにする~」(吉野弘作詞・高田三郎作曲混声合唱組曲「心の四季」より「山が」)という一節です。

https://www.youtube.com/watch?v=S-LKzdYk980

演奏:豊中混声合唱

 こちらは、当時その団で練習していたものでした。高校一年時の担任であったS先生(県内では第九の合唱指導で有名)が忙しく、素人の私が練習代理をつとめることが多かったのですが、20人程度の人数が狭い部屋で練習していたので、若かったこともあり、その人の存在を気にしつつだったのではないでしょうか(笑)

 

 以上、ふとしたことから思い出された合唱曲のことを、とりとめもなく書いてみましたが、この二曲のうち、「山が」(「心の四季」)のほうは、この組曲の中でも最も気に入っていて、今でもYouTube豊中混声合唱団の演奏を繰り返し聴いています。

3月のあるステージ。40年近くが経過して二人とも前期高齢者に・・・



        

♪ アイルランド民謡「春の日の花と輝く」

www.youtube.com

演奏:東京混声合唱
 

  春の日の花と輝く 

(原題:Believe Me, If All Those Endearing Young  Charms)
《訳詩:堀内敬三
1.春の日の花と輝く うるわしき姿の
  いつしかにあせてうつろう 世の冬は来るとも
  わが心は変わる日なく おん身をば慕いて
  愛はなお緑いろ濃く わが胸に生くべし

2.若き日の頬は清らに わずらいの影なく
  おん身今あでにうるわし されど面(おも)あせても
  わが心は変わる日なく おん身をば慕いて
  ひまわりの陽をば恋うごと とこしえに思わん

≪解説≫
この歌はアイルランドの古い民謡(1600年代中頃)にアイルランドの国民的詩人トーマス・ムーア(Thomas Moore 1779~1852)が作詞したもので、作曲者は不明です。この曲はこの他にもさまざまな歌詩がつけられています。

 

 2ヶ月ぶりの投稿となりました。桜の時期もとっくに過ぎ去り、青葉が目にまぶしい季節が迫りつつあります。

 先日、ふとしたことがきっかけで、20台後半から30台半ば頃まで所属していた隣町の混声合唱団を主宰していたT女史さんの甥にあたるという方と電話でお話しすることがありました。

 そのことから思い出されたのがこの曲でした。その団で歌ったのではなくて、ソプラノのある女性とお付き合いしていたときに、一度だけ神戸文化ホールへ、あるレベルの高い混声合唱団の定期演奏会を一緒に聴きに行ったときの曲目の一つでした。

 その人は、団員の皆さんが本当に楽しそうに伸びやかな歌声を披露されているのに、いたく感心の体だったのをよく覚えています。(訳詞の内容は必ずしもそうではないようですが・・・)

 

 30台半ばから定年まで、コーラスとは無縁の生活を送っていましたが、退職直後に入った市内の混声合唱団に、なんとその彼女が隣の市から通っていたのです。
 あれから30数年。今や大企業の社長夫人になっていました。(知らない人にはごく普通の、失礼ながら田舎のおばさんにしか見えないでしょうが・・・)

 ここまで書いて、その女性に関連した曲がもう一つ思い出されてきました。
 旅行先(たしか信州だったような・・・・)からもらった絵はがきに書いてあった「山が 遠くから 人の心を とりこにする~」(吉野弘作詞・高田三郎作曲混声合唱組曲「心の四季」より「山が」)という一節です。

https://www.youtube.com/watch?v=S-LKzdYk980

演奏:豊中混声合唱

 こちらは、当時その団で練習していたものでした。高校一年時の担任であったS先生(県内では第九の合唱指導で有名)が忙しく、素人の私が練習代理をつとめることが多かったのですが、20人程度の人数が狭い部屋で練習していたので、若かったこともあり、その人の存在を気にしつつだったのではないでしょうか(笑)

 

 以上、ふとしたことから思い出された合唱曲のことを、とりとめもなく書いてみましたが、この二曲のうち、「山が」(「心の四季」)のほうは、この組曲の中でも最も気に入っていて、今でもYouTube豊中混声合唱団の演奏を繰り返し聴いています。

3月のあるステージ。40年近くが経過して二人とも前期高齢者に・・・



        

♪ さざんかの宿(大川栄策)

https://www.youtube.com/watch?v=kJOi-_EnZug

作詞:吉岡治、作曲:市川昭介
「さざんかの宿」 大川栄策 1982年

 

1 くもりガラスを手で拭いて
  あなた明日(あした)が見えますか
  愛しても 愛しても
  ああ 他人(ひと)の妻
  赤く咲いても冬の花
  咲いてさびしい さざんかの宿

 

2 ぬいた指輪の罪のあと
  かんでください 思いきり
  燃えたって 燃えたって
  ああ 他人の妻
  運命(さだめ)かなしい冬の花
  明日(あす)はいらない さざんかの宿

 

3 せめて朝まで腕の中
  夢を見させてくれますか
  つくしても つくしても
  ああ 他人の妻
  ふたり咲いても冬の花
  春はいつくる さざんかの宿

 

 その昔よく聴いて、ときおり口ずさんだり、カラオケ(長らく行ってないな(;。;))で十八番にしていた歌(歌謡曲)の中には、イントロから間奏、後奏までを、何十年経っても頭の中で再現できるものがあります。
 今から40年余り前に大ヒット(累計180万枚の売り上げ)した「さざんかの宿」(大川栄策はその代表格と言えるでしょう。
 当時、母校に勤務していましたが、所属する学年の宴会などでは、「小樽の人よ」「憧れのハワイ航路」などと並んで、よく歌った(歌わされた?)ものでした。
 

 独身の者が好んで歌うにしては、歌詞はまさしく「不倫」(この歌が流行して後、テレビドラマの影響で、一般に知られるようになったとか)そのもので、我慢して聴いていた同僚たちは、そのミスマッチを笑っていたことでしょう。(そのうちの数名が鬼籍にはいってしまわれました(;。;))

 

 今思うと、作曲された市川昭介さん(昭和8年~平成18年・1933~2006)のメロディーの素晴らしさに惹かれたのではないかと思います。

市川昭介 BS朝日ホームページより

 市川さんには、「夫婦春秋」(村田英雄)、「涙の連絡船」(都はるみ)、「絶唱」(舟木一夫)、「出世街道」(畠山みどり)、「鳳仙花」(島倉千代子)など、10代の頃から好んで聴いていた大ヒット曲がたくさんありました。たまにテレビで見かけるあの笑顔と優しいお声が今も忘れられません。
   

 その当時は、若気の至りというか、下手の横好きというか、音楽部(コーラス部)の指導なんかしていましたが、調子に乗って、特にサビの部分ではひときわ声を張り上げていたと思うと、お恥ずかしいかぎりです。

カラオケの装置も80年代は8トラックのテープが主流でした。

 昨夜、布団の中でラジオを聴いていると、ひいきの噺家笑福亭松喬さんが「‘’しまった しまった 島倉千代子‘’ なんていうギャク 今の若い人は知らんやろうな!」などと言っていたところから、ずいぶんと飛躍してこの歌のことを思い出したような次第です。

 

 Wikipediaで調べると、大川栄策さんも今年で後期高齢者の仲間入りのようです。

 今風の歌手とは違って、若い頃からその風貌には「苦労人」の印象がありました。

この大ヒット曲もデビューから32曲目ということで、ご多分にもれず下積みの期間がずいぶんと長かったようです。

 決して美声というわけではなく、また失礼ながら目を引く容姿というわけでもなく、本当に磨き上げた歌唱力素晴らしい曲との出会いによって、歌謡史に名を残した人と言えるのではないでしょうか。

 

 昔の歌謡ショーでは、イントロの部分に司会者の曲紹介がよく入りました。

 終わりに、名司会者・玉置宏さんの七五調の名調子を紹介してみましょう。

けして見せない 涙の糸は
キラリと光って 雨になる
雨に打たれた 女の髪は
悲しみたたえて また光る
叶わぬ願いに ぬれながら 
鏡を見つめて 朝を待つ
「さざんかの宿」
 

玉置宏のナレーション大全集」(玉置宏
   https://lp6ac4.hatenablog.com/entry/20150908

 

 

 

♪ 「雪の降るまちを」

https://www.youtube.com/watch?v=XoK-lNmEeRc

(高 英男 & ダークダックス)

 

作詞:内村直也 作曲:中田喜直  昭和26年(1951)

 

雪の降る町を 雪の降る町を
思い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る町を遠い国から落ちてくる
この思い出を この思い出を
いつの日にか 包まん
あたたかきしあわせのほほえみ

 

雪の降る町を 雪の降る町を
足音だけが 追いかけてゆく
雪の降る町をひとり心に満ちてくる
この悲しみを この悲しみを
いつの日か ほぐさん
緑なす春の日の そよかぜ

 

雪の降る町を 雪の降る町を
息吹きと共に こみあげてくる
雪の降る町を 誰もわからぬわが心
このむなしさを このむなしさを
いつの日か 祈らん
新しき光ふる 鐘の音

  この曲の初出は1951年にNHKラジオで放送された連続放送劇えり子とともにの挿入歌としてであった。ある回の放送前日におけるリハーサルで時間が余ることが分かり、その時間を埋めるべく急拵えで制作され、主演の阿里道子と南美江が新しい劇中歌として歌い、人気が出たため二番以降が制作され、高英男の歌唱によりレコードも制作されヒットした。後に、作曲者自らの手で女声合唱、混声合唱に編曲されている。
なお初版シングルでの曲名は「雪の降るまちを」であるが、後に高の歌唱により再録音されて発売したシングルでは「雪の降る町を」となっている。さらに、1973年に高が発売したアルバム『雪の降る街を』(キングレコード、SKD-175)では「雪の降る街を」になっている。
作曲者の中田がこの曲を作るに際しては、知人である菅原喜兵衛宅のある山形県鶴岡市で見かけた降雪風がこのメロディを紡いだと伝えられ、現在も毎年2月に行われる「鶴岡音樂祭」ではフィナーレにこの曲が歌われている(作曲者存命中は、本人が鶴岡に出向き自ら指揮していた。没後は夫人がその任を果たしている)。(Wikipedia

   


 

 数日前に、昼食の時にいつも点けている窓際のラジオから、高 英男さんの歌うこの曲が聞こえてきました。番組は「ひるのいこい」でした。
 聴いている人の年齢層に合わせてか、この番組では思いがけなく懐かしいメロディーに出会うことが少なくありません。
 おそらく、小学生の頃だったでしょう。ダークダックスの歌うこの曲を、テレビで何度も聞いた記憶があります。
子ども心に、「思い出が 通り過ぎてゆく」「遠い国から落ちてくる この思い出」などといういわゆる擬人法的表現がなんとなく不思議に思われたものでした。
 また、一番から三番まで、前半は暗く切ない歌詞なのに、後半は急に調子が変わるあたりも、小学生には素直に受け入れがたかったのでしょう。

 曲の構成も、(後に知ったことですが)短調長調の転調がめまぐるしく、歌詞の難解さに加えて、この曲を分かりにくくしており、歌ってみようという気にはなりませんでした。
 

 ある作曲家のブログでは、この曲の転調について説明した後に、次のような文章が続いていました。http://yoshinobu.noguchi-art.com/

「「雪の降る街を」も最後が明るく終わるから聴き終わって晴れやかになります。」とメッセージを頂きました。
 私の場合は、唐突すぎて不自然にしか思えませんでした・・・・

 

 「思い出の中の~」といって取り上げた曲は、その殆どが懐かしく、また聴いてみたい、歌ってみたいというものなのですが、ことこの歌に関しては、半世紀以上経った今でも、子どもの頃に感じた「不思議さ」「不可解さ」が強く残ってたままです。
 以前に「小さい秋見つけた」でもふれましたが、田舎の子どものくせに「歌の中の言葉」に変に敏感だったのかも知れません(笑)

 それに、温暖な土地で生まれ育ち、「雪の降る町を歩く」といった経験がないのも、一因ともなっているでしょうか。

 いずれにせよ、この曲を聴くたびに、子どもの頃に感じた不思議な違和感が甦ってきます。

♪ 「浜千鳥」

浜千鳥 (歌詞つき) 鮫島有美子 - YouTube

 

歌唱:鮫島有美子

 

 前回の投稿から3ヶ月余り、ネタ切れもありますが、何かと野暮用などもあって、ずいぶんと間が空いてしまいました。
 プロ野球ー今年はオリックスファンとしてはハラハラしながらも最高の一年でしたーが終わると、秋の夜長はYouTubeか繁昌亭(上方落語の定席)見放題で過ごすことが多いです。
 YouTubeでは、「あなたへのオススメ」という動画紹介がありまして、そんな中で目にとまったのが、この「浜千鳥」という歌でした。
 YouTubeには、いろんな歌い手の歌唱がUPされていますが、男声では五十嵐喜芳さん、志摩大喜さん、女声ではなんと言っても鮫島有美子さんの歌唱が気に入って、繰り返し聴いてきました。(昭和の頃には一時、ファンクラブに入っていました)
 「思い出の中の」というタイトルではありますが、これという思い出があるというよりも、折に触れて繰り返し聴き、また口ずさんできたというぐらいのことですが・・・。

『少女小曲集 濱千鳥』
大正十年十一月二十五日発行、著作者・弘田龍太郎、清水桂、発行者・鹿島佐太郎、発行所・小学新報社、本田庄太郎 畫
「池田小百合 なっとく童謡・唱歌」より https://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/doyobook/doyo00hirota2.htm

「浜千鳥」
作詞:鹿島 鳴秋明治24年~昭和29年・1891-1954)
作曲:弘田 龍太郎(明治25~昭和27年・1892-1952)
雑誌『少女号』1920年大正9年)1月号

弘田龍太郎(安芸市観光協会ホームページより)


青い月夜の浜辺には
親を探して鳴く鳥が
波の国から生まれ出る
濡れた翼の銀の色


夜鳴く鳥の悲しさは
親をたずねて海こえて
月夜の国へ消えてゆく
銀のつばさの浜千鳥

 短調の流麗なメロディーに乗せて、「親を探して・たずねて」と繰り返し、「波の国から生まれ出る」に対比された「月夜の国へ消えてゆく」という悲しくも不思議な歌詞が、今思うと子ども心にも気にはなっていたのでしょう。

 何か疑問があるとすぐにネットでググるというようなことが出来ない昔のこと、詩作の背景を調べることもなく、何十年もの月日が経過していました。

 このたび、この歌を取り上げるにあたって調べてみると、やはり作詞の鹿島 鳴秋(かしま めいしゅう)氏の生い立ちが詩の文句に重ねられているようです。

 

 もの悲しい詩の生まれた背景には二つの説があるということです。
詩人が早くに生き別れた(6歳の時に父が家出をし、母は再婚して他家に嫁いだ)両親を偲んで書いたという説と、亡くなったひとり娘のことを思って書いたという説です。
 後者は、作品の書かれた時期(大正8年・1919年)と娘さんが亡くなった年(昭和6年・1931年)に大きな開きがあり、ここでは前者を取りたいと思います。

「浜千鳥歌碑」(千葉県南房総市和田町

『青い月夜の浜辺には…』で始まる童謡「浜千鳥」の歌は、1919年に鹿島鳴秋によって作られ、今も日本の抒情歌の名曲として歌い継がれています。
この詞は、鳴秋が柏崎に住む旧友を訪ねた折、裏浜から番神の海岸を散歩しながら、初夏の海の印象を歌にしたものと云われています。
1920年、弘田竜太郎によって作曲され、全国的に愛唱されるようになりました。
浜千鳥の碑は、1961年に海岸公園(現アクアパーク駐車場)に建碑されましたが、現在は「みなとまち海浜公園」内に移設されています。

新潟県柏崎市のホームページより ※太字、下線は筆者
https://www.city.kashiwazaki.lg.jp/kanko_bunka_sports/kanko/shiru/kashiwazakinobunka_rekishi/9905.html

 

 さて、この歌の歌碑は全国に6カ所もあるということです。( 「歌碑を訪ねて西東」http://monument.sakura.ne.jp/index.html

 もちろん、もっと多い歌碑(例えば「琵琶湖周航の歌」12 「故郷(ふるさと)」14
)もありますが、「6カ所」というのは、この歌が長く、そして広く親しまれてきた一つの証左と言えるかも知れません。

 作詞の鹿島鳴秋にちなむ歌碑だけでなく、作曲者・弘田龍太郎の出生地である高知県安芸市(下の写真)や中学校(旧制)に通った三重県津市にも歌碑があります。

 名前は昔から知っていましたが、改めて弘田龍太郎の代表的な童謡や歌曲を調べてみると、今に歌い継がれる名曲の多いことに感心させられます。私達のような前期高齢者には、懐かしくなじみのある歌ばかりです。

「雀の学校」
チイチイパッパ チイパッパ♪
「春よこい」
春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが
「鯉のぼり」
甍(いらか)の波と 雲の波 重なる波の 中空(なかぞら)を
「靴が鳴る」
おててつないで野道を行けば 晴れたみ空に 靴が鳴る
「金魚の昼寝」
赤いべべ着た かわいい金魚 おめめをさませば ごちそうするぞ
「雨」(雨がふります 雨がふる)
雨がふります 雨がふる 遊びにゆきたし 傘はなし
「叱られて」
あの子は町まで お使いに この子は坊やを ねんねしな
「浜千鳥」
青い月夜の浜辺には 親を探して鳴く鳥が 銀のつばさの浜千鳥
「小諸なる古城のほとり」
島崎藤村が長野県小諸の懐古園で詠んだ旅愁の詩

 

 という訳で、秋の夜長にはふさわしい童謡の名曲を取り上げてみました。

ここまで書いて思い出したのは、「バタヤン」の愛称で一世を風靡した、あの田端義夫さんの歌う「浜千鳥」です。

 あの方の哀愁を帯びた歌い方にも捨てがたいものがありますね。

浜千鳥 - YouTube

 

(番外)「海道東征」コンサート

一昨日、8月27日(土)西宮にある芸術文化センター大ホールで、「海道東征」他の演奏を聴いてきました。

6月末に神戸新聞が県内の催し物一覧を載せている中で見つけ、楽しみにすると同時に、関連する本を3冊買って予習(?)をしての鑑賞でした。


主催者は「次世代を担う青少年に贈る」と題していましたが、ほぼ満席の聴衆の8割方は、自分も含めて「半世紀以上前の青少年」ばかり。

第一部はビバルディの「四季」。バイオリン独奏・中野りなさんの演奏は、とても18歳とは思えない堂々とした感じ。

第二部に「海道東征」が演奏されました。ステージ両サイドに電光掲示板(?)があり、歌詞が出るのですが、40年も仕事で古語に親しんだ(?)はずの者でも、(予習の成果むなしく)北原白秋の言葉遣いは難しすぎました。

YouTubeでも繰り返し聴いて「予習」していました。

演奏は、近年のものが東京混声、戦前の方は東京音楽学校バリトンソロは中山悌一氏だったか)で、それが頭に残っているせいか、正直にいわせてもらうと、アルトのソロの中には「????」という感じの部分もあったように思います。

しかし、40名弱の人数で、この壮大なカンタータを歌い上げられた神戸市混声の皆さんは立派でした。

下は直前の「参考書」2冊

少し前に買っていたマニアックな一冊

 

戦後長らく、GHQにより封印され、日本人自らも敬遠し続けてきた「海道東征」とか海ゆかばという信時潔の二大傑作が、近年こうして立派なコンサートホールで上演されるというのは、素晴らしいことではないでしょうか。

まさか、県内で聴ける日が来ようとは・・・・・。

 

最後の海ゆかばについては、かなり前に海ゆかばのすべて」というCDを買っていて、いろんなバージョンがあることは知っていました。

当日の演奏については、指揮者もそうですが、神戸市混声の皆さんも比較的お若いせいもあるのでしょうか、元気よく、溌剌と歌い上げられていたような印象を受けました。やはり、この曲は情感たっぷりと、もう少し緩いテンポでも良かったのかと思った次第です。

 

これが海上自衛隊のコンサートだったら、アンコールに「軍艦行進曲」というところですが、さすがに今回はアンコールなしでした。

 

帰りの電車内で、感動覚めやらぬうちにとFacebookに投稿しました。

投稿を見た人の中には、「え!?ひょっとしてネット右翼!?」と言う感想を持った方が居たかも知れませんが、そうではありません。念のため!

 

高度経済成長期に学校生活を送った我々前期高齢者ですが、改めて自国の成り立ち(神話にすぎないという人も居ますが・・・・)についていかに知らない(教えられていない)かということを今回は実感したことでした。