思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪  「鯉のぼり」(甍の波と~)

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 ゴールデンウィーク間近ではありますが、世間は3度目の緊急事態宣言で、行楽の自粛を余儀なくされ、たまの農作業の他はテレビやスマホ、パソコンに向かうことが多い日々が続いています。
 薫風香る好季節のこの頃になれば、広い村のあちこちに鯉のぼりが風に泳ぐ姿が見られたのもずいぶんと昔になりました。(今年30になる息子が幼い頃はうちでも上げていました)
 近年は近所に子どもの姿は見られず、聞くところでは地元の公立小学校への新入生はたった一人とか。(60年前の私の同級生は10人。さらに上の団塊の世代は20人ぐらいはいたそうです・・・)

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 この時期に思い出す歌と言えば、やはり「鯉のぼり」でしょうか!
 ただ、下のように同じ曲名で三つもあるそうで、最近は3の歌が歌われることが多いようですが、やはり我々世代には2が懐かしいですね。近年では混声合唱組曲「ふるさとの四季」(源田俊一郎)の中で歌いました。
(1については今まで知りませんでした)
1 作詞・東くめ、作曲・瀧廉太郎 『鯉のぼり』
2 作詞者不詳、作曲・弘田龍太郎 『鯉のぼり』1914年(大正3年
3 作詞・近藤宮子、作曲者不詳 『こいのぼり』1931年(昭和6年

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広島大学教科書コレクション画像データベース」より 

上は昭和16年(1941)の教科書


こいのぼり 作詞:不詳/作曲:弘田龍太郎

1

(いらか)の波と 雲の波
重なる波の 中空(なかぞら)
(たちばな)かおる 朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり

2
開ける広き 其の口に
舟をも呑(の)まん 様見えて
ゆたかに振(ふる)う 尾鰭(おひれ)には
物に動ぜぬ姿あり

3
百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
(たちま)ち竜に なりぬべき
わが身に似よや 男子(おのこご)
空に躍るや 鯉のぼり
1913年(大正2年)に刊行された『尋常小学唱歌 第五学年用』が初出

  小学校5年生ぐらいに習ったでしょうか、1番の歌詞が印象深いのです。
 というのも、 「橘(たちばな)かおる 朝風に」というところを、休み時間に替え歌風に「森本(もりも~と)馨(か~お~る)」(同級生の男子の名前)と友達が歌っていたことが思い出されてくるからです。
 彼は家業の石屋さんを継いでおり、我が家のお墓でもお世話になりました。

 

 ちなみに、3の歌詞は鯉が滝を上って竜になる中国の伝説「登竜門」が元になっているといわれ、男の子が「こいのぼりのように雄大な姿に成長するように」という立身出世の願いが込められているということです。
 「登りなば」とか「なりぬべき」という文語調の歌詞から、戦後は歌われなくなったのではないしょうか。
 この歌を思い出すと、いつもこの部分のメロディー(ラララーソ ファラソファミ)と森本君のふっくらとした優しい顔つきが脳裏に浮かんできます。

 

 実は私の住んでいる加東市のうち、旧東条町域の一部では鯉のぼり作りやひな人形作りが今も行われているのです。

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加東市の鯉のぼりは「播州鯉」とよばれ、写実的で格調高く品質のよさが高い評価を得ています。明治30年頃から東条地域で始まりました。ひな人形とともに節句を祝う品としてこの地で定着しています。(加東市観光協会ホームページ)

  初めての孫(男の子・葵)の生まれたときに鯉のぼりをプレゼントしましたが、マンション住まいのために、ミニチュアのようなのをネットで探して送りました。

 本格的な鯉のぼりを買って上げられる家も少なくなってきています。