思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「喜びも悲しみも幾年月」

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『喜びも悲しみも幾歳月』(昭和32年・1957)

作詞・作曲:木下忠司、唄:若山 彰

1 俺(おい)ら岬の 灯台守は
  妻と二人で 沖行く船の
  無事を祈って 灯(ひ)をかざす
  灯をかざす

2 冬が来たぞと 海鳥なけば
  北は雪国 吹雪の夜の
  沖に霧笛が 呼びかける
  呼びかける

3 離れ小島に 南の風が
  吹けば春来る 花の香(か)便り
  遠い故里 思い出す
  思い出す

4 朝に夕(ゆうべ)に 入船出船
  妻よがんばれ 涙をぬぐえ
  もえてきらめく 夏の海
  夏の海

5 星を数えて 波の音(ね)きいて
  共に過ごした 幾歳月(いくとしつき)の
  よろこび悲しみ 目に浮かぶ
  目に浮かぶ

※4番の歌詞に記憶がありません。実際にはあまり歌われてなかったのかもしれません。

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『喜びも悲しみも幾歳月』は、1957年に松竹が制作・公開した、木下惠介監督の映画作品である。
海の安全を守るため、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマである。

1956年に雑誌掲載された福島県塩屋埼灯台長(当時)田中績(いさお)の妻・きよの手記から題材を得て、木下監督自身が脚本を執筆した。全編にわたりカラー映像で撮影され、単なるホームドラマの枠を超えて日本各地の美しく厳しい風景を活写した大作で、公開当時大ヒット作となり、同年の芸術祭賞を受賞した。

若山彰の歌唱による同名主題歌の「喜びも悲しみも幾歳月」も大ヒットし、後世でも過去の著名なヒット曲としてしばしば紹介されている。

観音崎御前崎、安乗崎、野寒布岬、三原山五島列島、瀬戸内海の男木島、女木島など全国でロケーション撮影を敢行し、ロードムービーの一種としても楽しめる作品である。

後年、3度に渡りテレビドラマ化されたほか、1986年には木下監督自身により時代の変化を加味したリメイク版『新・喜びも悲しみも幾歳月』も映画化されている。 (Wikipedia

この映画を観たような記憶がほんの微かにはあるのですが、それが映画館だったのか、それともテレビだったのか、確かめるすべがありません。
小学校での映画鑑賞などという可能性もありますが・・・。

ストーリーは忘れても、主題歌のほうは今もはっきりと覚えています。
歌い手の若山彰さんは、六甲おろし(「阪神タイガースの歌」)なども朗々と歌われていて、50代以下ではお名前を知らない方が今や大半でしょうが、「ああ!あの歌の!!」と気づかれることと思います。

「南国情話」を取り上げた2020年9月26日の本ブログでも少し触れましたが、若山彰(本名・平川純男、1927年広島県三原市生まれ、1951年24歳でデビュー、1998年69歳で死去)さんは、母校広島大学教育学部の前身校の一つである、広島臨時教員養成所(1940年、広島文理科大学に付設された)の物理化学科の第5回卒業(昭和22年・1947)24名のうちのお一人でした。

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Wikipediaをはじめ、ネット上では広島文理科大学卒業のように記載されていますが、文理科大学へは高等師範学校や当校を卒業後に進学していましたから、細かいことですが、誤りです。手元にある古い年次別の卒業生名簿で確認しました

 

この歌で、前々から感じていたことが二つあります。

一つは曲の短さ、もう一つはイントロの素晴らしさです
数えてみますと、イントロが8小節なのに対して、歌の部分は14小節となっています
楽曲の作りには、一部形式とか二部形式とかあるようですが、(不勉強でよく分かっていませんが)14小節というのはちょっと短いのではという印象は受けます。

ですが、それを補って余りあるメロディーの素晴らしさがあることは言うまでもありません!!

 

もう一つの特徴は、イントロの力強さです。

そういえば、テレビドラマ水戸黄門の主題歌「あゝ人生に涙あり」 (作詞・山上路夫) も木下さんの作曲ですが、やはりあの男性的でリズミカルなイントロは、何十年経っても忘れられませんね。
この歌の場合は、ドラマチックな展開を予見させるかのような、出だしの管楽器とバイオリンの掛け合い、さらには歌の入り直前の2小節の畳みかけるような音の動き。

そして、その勢いを保ったまま、「俺ら岬の・・・」と歌に突入するようなところに、一度聴いたら忘れられないインパクがあるように思います。

 

※作曲の木下忠司(ちゅうじ)さんは、映画監督・木下恵介氏の弟さんだったと、今回初めて知りました。ネット上に3年前の訃報を見つけました。

映画「喜びも悲しみも幾歳月」、テレビ時代劇「水戸黄門」の主題歌を始め、数多くの日本映画やドラマの音楽を手がけた音楽家の木下忠司(きのした・ちゅうじ)さんが4月30日、老衰で死去した。102歳だった。葬儀は親族で営んだ。
 46年、兄の木下恵介監督の「わが恋せし乙女」で映画音楽家としてデビュー。以来、「カルメン故郷に帰る」(51年)や「二十四の瞳」(54年)、「野菊の如き君なりき」(55年)など恵介監督のほぼ全作品の音楽を担当。特に57年、作詞・作曲をした「喜びも悲しみも幾歳月」の主題歌は、灯台守の心意気を力強く表現して大ヒットした。
 ほかにも、小林正樹監督の「人間の條件」シリーズ(59~61年)や菅原文太主演の「トラック野郎」シリーズ(75~79年)、アニメ「白蛇伝」(58年)など多彩な作品の音楽を手がけ、88年までに480本を超える映画音楽を作った。またテレビでもドラマ「水戸黄門」や「泣いてたまるか」の主題歌やCM音楽など数多くを作曲している。

2018年5月7日 朝日新聞

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(木下忠司さん、100歳の頃)

♪ 佐藤真「土の歌」(農夫と土・大地讃頌など)

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【土の歌】Shin Sato: Cantata the Songs of Land (Extracts)【東京混声合唱団&神戸市混声合唱

2020.12.12いずみホール

このブログもはや三年目に入りました。
2021年の第1回目は、合唱曲として有名な大地讃頌を含む「土の歌」をとりあげました。

昨年の12月12日に大阪のいずみホールで開かれた東京混声の演奏会では、AB二つのプログラムがあり、16時開始のBプロの1曲目が神戸市混声との合同でこの曲でした。
帰宅時間を考慮して、Aプロを選んだ私たちでしたが、年末に東京混声のYouTubeチャンネルで、当日の演奏(抜粋)がアップされているのを見つけ、年をまたいで繰り返し聴いています。

 大地讃頌」を歌ったのはいつのことだったか、すっかり忘却の彼方ですが、探したら楽譜はありました。
(ただ、使った形跡、書き込みなど一切ありませんでしたが)

今回、この曲を取り上げるに際して、作詞の大木惇夫(1895~1957)について、ちょっと調べてみましたが、この方は広島の生まれなんですね。

 

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組曲の中には下のように、3楽章で原爆禍が取り上げられています。

第1楽章:「農夫と土」 _ 自然の恵みの神秘、土への感謝
第2楽章:「祖国の土」 _ 人は皆土に生まれ、土に還っていく
第3楽章:「死の灰」  _ 原爆について取り上げられ、人間と科学の汚さ
第4楽章:「もぐらもち」_ モグラに例えた人間への皮肉
第5楽章:「天地の怒り」_ 天災と人間悪について
第6楽章:「地上の祈り」_ 大地への想いと反戦の祈り
第7楽章:「大地讃頌」 _ 本作品を締めくくる大地への限りない讃歌
 

自然や土への感謝から始まり、大木惇夫の故郷を襲った原爆や天災、人間悪に触れた上で、大地への感謝と反戦の祈りへと昇華されていきます。
(浪江から平和の思いを!大地讃頌とともに土の歌を全国へ
福島で歌おう「土の歌」合唱団実行委員会)

 

土の歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
混声合唱とオーケストラのためのカンタータ『土の歌』は、大木惇夫(本名:大木軍一)が作詞、佐藤眞が作曲したカンタータ。日本ビクターの委嘱により、1962年に作曲された。

楽曲は、タイトル通り混声合唱団と管弦楽団によって演奏するために書かれており、初演は、指揮:岩城宏之混声合唱:東京混声合唱団、管弦楽NHK交響楽団により行われた。

後に、ピアノ伴奏版が作られたことにより、中でも当楽曲を構成する楽章の一つである終楽章「大地讃頌が、中学校をはじめとする日本の学校教育の現場において、合唱コンクールや卒業式などで歌われる定番曲として広く知られ定着している

 

第一楽章「農夫と土」
耕して 種子(たね)を撒(ま)く土
人みなのいのちの糧を
創(つく)り出す土
 耕して種子を撒く者
 農夫らの楽しみの種子
 悲しみの種子
  ともかくも種子がいのちだ
  朝 星をみて 野良に出る
  働いて 額に汗して
  夕星を見て帰るのだ
種子をはぐくむ土こそは
種子をまく者の夢だ 望みだ
そして祈りだ
花さき みのる 毎年(まいねん)の
約束の不思議さよ

 

第七楽章「大地讃頌
母なる大地のふところに   
われら人の子の喜びはある
大地を愛せよ
大地に生きる人の子ら
その立つ土に感謝せよ

平和な大地を
静かな大地を
大地をほめよ たたえよ土を
恩寵(おんちょう)のゆたかな大地
われら人の子の
大地をほめよ
たたえよ 土を
母なる大地を
たたえよ ほめよ
たたえよ 土を
母なる大地を ああ
たたえよ大地を ああ

 

第一楽章の「農夫と土」
作詞の大木さんに農業の経験はなかったよう(ひょっとして疎開先ではあったのかも)ですが、私のように稲作農家の真似事をしている程度の者にも、その意味が少しは実感を伴ってわかるような歌詞となっています。
 それは、「農夫らの楽しみの種子/悲しみの種子/ともかくも種子がいのちだ」というフレーズの「楽しみの/悲しみの」という部分です。
(米作りの場合は「苗」に置き換えるべきでしょうが)

終曲の「大地讃頌」よりも、こちらの方が今となっては歌ってみたい曲ですね。

 

 第七楽章「大地讃頌」はあまりに有名!

中学校の卒業式などでも一時よく歌われていました。YouTubeには、にわか指揮者のための「指揮の仕方」という動画があるぐらいです。

カンタータ(交声曲)というスケールの大きな合唱組曲は、我が国にもいくつかあるようですが、この歌ほど多くの人々に歌われ、親しまれているものはないと思われます。アマチュアの場合はピアノ伴奏がほとんどですが、中にはオケ伴奏のものもYouTubeで視聴できます(だいぶ昔の東京混声の動画もたしかありました。)

作曲の佐藤真さんと言えば、あの合唱組曲の名曲「旅」でも有名ですね。

我々年代以上の者で、これを知らない合唱ファンはモグリだと言ってもいいでしょう(笑)

最近は、こういう割と素人でも歌いやすい曲が少なくなってきたように思います。

確かに、NT氏のような素晴らしい作曲・編曲をされる方もいらっしゃいますが、どうも若い人中心でレベルの高い合唱団は別として、私の所属しているような高齢者中心のコーラスではちょっと難度が高い曲が多いように思われて仕方ありません。

「何十年にも渡り、広い世代に歌い継がれるような合唱曲!」

まさに、この「土の歌」や「旅」などがそれに当たるでしょう。

 

♪ 「サリマライズ」

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神戸中央合唱団

(合唱曲/原曲:南アフリカ唱歌『サリーマレー Sarie Marais』)

歌詞(作詞:森田久男)

我がもと 離れ去り行ける 懐かしき友よ

いま再び帰り来たる 我等の元へ

 

ああ懐かしきかな いざ歌わん

麗し花は 野に山に満ち 小鳥も歌う

小川のせせらぎも 楽しげに我等と歌う

 

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例年より早く年賀状の準備をしていたとき、昨年住所の記載ミスで戻ってきた一枚を発見。
30年以上前に同僚だった音楽のI氏宛てのものでした。
氏とは吹奏楽部の主顧問と副顧問(音楽部の副顧問と主顧問)の関係でした。
ふと思い出したのが、たぶん神戸高校出身のI氏が着任して始めたのではないかと思われるコーラス大会(野暮なネーミングですね・笑)と課題曲として設定した「サリマライズ」のことでした。
神戸中央を初めとする神戸の合唱団では、この曲がよく愛唱歌として歌われているということです。
3年ほど前でしたか、当市の合唱祭にゲストで来ていただいた「ハモールKOBE」の皆さんも、終演後にロビーでこの歌を披露して帰って行かれました。

ゆったりと優しいメロディーラインですが、我が国に伝わるに際しては、以下のような経緯があったということです。
中村仁策氏が神戸中央で活躍されたことで、神戸の合唱団から広まっていったことが想像されます。

 

歌い出しの歌詞は「我がもと 離れ去り行ける 懐かしき友よ」(作詞:森田久男)。旧友との再会を喜びかみしめる内容となっている。
『サリマライズ』の原曲である『サリーマレー Sarie Marais』が歌われている南アフリカ共和国は、かつてオランダによって統治されていた。同曲の歌詞はオランダ語から派生したアフリカーンス語で書かれているのもその名残である。

第二次世界大戦中、ドイツに占領されたオランダの兵はロシア軍の捕虜となり、シベリア送りとなった。大勢の日本兵も捕らわていたシベリア収容所では、朝の点呼の際に、オランダ兵たちが『サリーマレー Sarie arais』を声をそろえて歌っていたという。
神戸中央合唱団の指揮者として戦後活躍した中村仁策氏は、当時シベリア収容所に抑留されており、オランダ兵たちが同曲を歌う様子を現場で目の当たりにしていた。
中村氏はオランダ兵からこの曲を教わり、配給された巻きタバコの紙に五線譜を書き留めて密かに保管し、戦後に日本へ持ち帰ることができたという。
多くの日本人がシベリアで命を落とす中、無事に故郷へ帰りつき家族や友人と再会を果たした中村氏。その喜びが『サリマライズ』の日本語歌詞に表されているようで非常に感慨深い。
その後『サリマライズ』は神戸中央合唱団の重要なレパートリーの一つとなり、現在でも関西圏の合唱団を中心に合唱曲の名曲として愛唱されている。

 「有名な合唱曲」http://www.chorus-song.com/popular/sarie-marais.htm

 

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(神戸高校第66会音楽会・合唱コンクール

 

I氏の他にも当時の同僚で神戸高校出身の方にM女史がいましたが、あるとき高校の音楽会(なんと、神戸文化ホールを貸し切りで行っていたとか!寒々とした体育館でのコーラス大会とは大変な違いです)で大中恩の「島よ」をやったと聞いたとき、レベルの違いに唖然としたのを覚えています。
その頃、全国大会の常連だった神戸高校の合唱部のメンバーがクラス合唱の指導をしていたようですが、自分も歌ったことがあるだけに、なおさら驚かされたわけです。

その学校に着任した年、自由曲が決まらない生徒達に、伊丹混声でやったことがある「想い出のセレナーデ」を勧めたことも思い出しました。

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天地真理さんの現在はどうなのかよく知りませんが、この曲を歌った彼ら、彼女たちももう52,3歳になっているはずです。

♪ 「愛の喜び:Piacer d'amor」(マルティーニ)

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テノール:志摩大喜)

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『愛の喜びは』(仏語:Plaisir d'Amour, 伊語:Piacer d'amor)は、ジャン・ポール・マルティーニが作曲した歌曲。作詞はジャン・ピエール・クラリス

 アメリカのロックンロールミュージシャン・エルヴィス・プレスリーのシングル「好きにならずにいられない」の原曲でもある。

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ジャン・ポール・エジード・マルティニ(Jean Paul Egide Martini, 1741年8月31日 - 1816年2月14日 パリ)は、ドイツのフライシュタット出身のフランスの作曲家。本名はヨハン・パウル・エギディウス・シュヴァルツェンドルフ
 フランス語歌曲《愛の喜び Plaisir d'Amour》が代表作。作詞は ジャン・ピエール・クラリス。これは時にイタリア語の歌詞でも歌われる。日本では、好んで結婚式のBGMにも使われるが、歌詞の大意は「愛の喜びは長続きしない。愛の苦しみだけが長続きする。僕のつれないシルヴィアは……」というもので、恋愛賛美の内容ではなく、不実な恋人についての愚痴である。 (Wikipedia

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土曜の昼下がり、図書館で借りてきたばかりの「よくわかる音楽の仕組みと科学」(岩見や眞一郎著)を読み始めたとき、コラム「強烈な音楽体験」の中の次の一節に目がとまりました。
 

強烈な音楽体験には、音楽的要因、個人的要因のほか、どんな状況下で音楽を聴取したかの要因も関わっているのです。(p19)

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このとき、頭に浮かんだメロディーがありました。
それは、今から34年前の昭和61(1986)年の8月のこと。職場の同僚二人(どちらも英語科教員)と1週間のイギリス旅行(ロンドン中心)をしたときのことでした。
その当時のヨーロッパ行きは、まだアンカレッジ経由で成田からロンドンまで10数時間かかる時代でした。

機内(JALのジャンボ機だったと思います)ではいろんな音楽が流れていました。

そんな中、繰り返し流されていたある甘美なメロディーが、その後長らく気にはなっていましたが、曲名が分からないままでした。
たしか「愛の・・・」だったかなとYouTubeで探しましたが、ダメでした。

「愛の」で始まる有名な曲はとても多いんですね!

愛の夢(リスト)
2. 愛の挨拶(エルガー
3. 愛のロマンス(禁じられた遊び
4. 愛の喜び(マルティーニ)
5. 愛の小径(プーランク
6. 愛の調べ(グリーグ
7. 愛のワルツ(ブラームス
8. 愛の歌(シャンソン・ダムール)(フォーレ
9. 愛のアダージョアルビノーニ
10. ある愛の詩フランシス・レイ
11. 愛のよろこび(クライスラー
12. 愛の悲しみ(クライスラー
13. 愛の死~「ト「愛の夢」第3番

最近ではスマホのアプリで、鼻歌でも録音すると、曲名を教えてくれるものがあることを知り、さっそくインストールして試してみましたが、音程がまずい(笑)のか、全く反応しませんでした。

ところが、今朝のこと。

何気なく「世界名歌選集」(ドレミ楽譜出版)という、昨年買った本を開いてみて、それがマルティーニ『愛の喜びは』(「は」のない表記も)の旋律と分かりました。

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飛行機に乗ったのが、旅行と出張併せてたった4回という私ですが、初めての海外旅行ということ。

そして何より若かったということもあってか、色々なことに敏感に反応していたのではなかったかと思います。

その後も、3回は乗っているわけですが、機内の音楽が印象に残っているということはありません。
やはり、若い頃の感受性というのは大切なのですね。

 

先週の土曜は、大阪のいずみホール東京混声合唱、そして昨日は市内で篠崎史紀N響のマロ)バイオリンコンサートと、どちらも本邦最高峰の演奏家によるコンサートに行きましたが、若い頃と違って聴いたメロディーがその後も印象深く残るということがなくなってきたような気がして残念です。

(まあ、どちらもここ数年で何回か聴きに行っていますので、失礼ながら新鮮味がなくなっているからかもしれませんが・・・)

 

高齢者(前期ですが)に感受性・・・!?たぶん、難しい問題なのでしょうが、大切にしたいとは思いいます。

♪ 「いつでも夢を」

いつでも夢を 橋幸夫・吉永小百合 - YouTube

 

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1968年(昭和43年)12月日本レコード大賞10周年記念音楽会

いつでも夢を 橋幸夫吉永小百合

【作詞】佐伯 孝夫
【作曲】吉田 正
1
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも 歌ってる
声が聞こえる 淋しい胸に
涙に濡れた この胸に
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも 歌ってる

2
歩いて歩いて 悲しい夜更けも
あの娘の声は 流れ来る
すすり泣いてる この顔上げて
きいてる歌の 懐かしさ
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
歩いて歩いて 悲しい夜更けも
あの娘の声は 流れ来る

言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
はかない涙を うれしい涙に
あの娘はかえる 歌声で

 

当時は両者とも多忙な日々を送っていたためスケジュールが合わず、別々にレコーディングした音源を一つにミキシングして発売したという。なお吉永の歌がオーケストラと合わず、やむなくピッチを上げてオーケストラと合わせた。その特徴的な歌詞と、まだ舟木一夫西郷輝彦などもデビューしておらず、橋が若き王者として人気を極め、吉永も若手女優として高い人気を誇っており、その二人の初デュエット曲として発売当初より話題となり、発売から「1ヶ月で30万枚という驚異的な記録をたて……半年すぎた翌年5月には100万枚を突破した」。累計売上は260万枚を記録した。

歌詞に登場する「あの子」については、橋は当初は吉永を連想して歌っていたが、吉永も共に歌唱していることに気付き、上にいる妖精のような存在を連想して歌うようになったという

詞・曲ともに明るい憧憬にあふれたこの楽曲は、第4回日本レコード大賞の大賞を受賞し、1962年を代表する楽曲となり、1960年代の高度成長期を象徴する楽曲となった。その後も長い間、日本国民に愛された楽曲として人気を保っている。長年にわたりラジオやテレビの各番組で流され、この楽曲へのリクエストも多い。そのため、発売当時はまだ生まれていなかった世代にもこの曲はよく知られている。(Wikipedia

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1962年(昭和37年)と言えば、私が小学校に入った年でした。
子どもの頃に、テレビやラジオで流れていた歌は、何十年経ってもそのメロディーは、記憶に残っているものです。
この歌も、そんな大ヒット曲の一つです。

今回は、子どもの頃に持っていた歌詞に対する素朴な疑問について少し述べてみようと思います。
それは、「言っているいる お持ちなさいな いつでも夢を いつでも夢を」の部分についてです。
今見ると、何ということもないのですが、長らくこの「お持ちなさいな」に少しひっかかっていました。

「いつでも」・「夢を」・「持ち続けなさい」ということなのですが、当時はなぜかこの単純な倒置法が分かりませんでした。
「持つ」というと、荷物か何か、形と重みのあるものという発想しかなかったものと思います。
また、歌のフレーズが、「言っているいる お持ちなさいな」でまとまっており、前後の歌詞のつながり具合が、田舎少年には理解できていなかったようです。

今回、この歌を取り上げるので、いろいろネットで調べていると、やはり、違和感を覚えている方がいらっしゃいました。

 

そんなスゴイ方の作品ではありますが、「いつでも夢を」の歌詞にわたしはずっと引っかかっていました。
♪星よりひそかに 雨よりやさしく♪
冒頭はなるほど、さすがの詩的表現だ!と唸ってしまうのですが、
♪言っているいる お持ちなさいな♪
ココ。この部分がどうにもしっくりこないんですよ。「言っているいる」の「いる」が2回出てくるのはまあ良しとして、どうして次に「お持ちなさいな」となるんでしょう。
「お持ちなさいな」は文脈としては次の「いつでも夢を」にかかるはずなのに、メロディ構成上は、♪言っているいる お持ちなさいな♪ がひとまとまり。しかも「言う」という内容に続くのが「持つ」なんですよ。「言ってます、持ちなさい」って言われたら「は?どういうこと」と思ってしまいませんか?

そして、♪いつでも夢を いつでも夢を♪とくる。この一連の歌詞がすごく不思議だったんですよね。曲の作り方が歌詞と合ってないのかなあなどとも考えてしまいました。いやでもそんなはずはない。吉田正も偉大なる作曲家ですよ。

「いつでも夢を」の歌詞はちょっと不思議
 「昭和よいとこ」 http://achikon.com/showa-music/itsudemoyu

 

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(吉永さんと作曲の吉田正さんのデュエット)

多くの人に尋ねてみたわけではありませんが、子ども心に「どういう意味?」とちょっとひっかかっていたのは、言葉の感覚(?)としては、むしろ正しかったのではないかと思ったりします。

(子どもの頃から、音感はダメでしたが、絶対語感のようなものはあったのでしょうか😀)

 

※子どもの頃に繰り返し聴いた楽曲は、何十年経っても忘れませんが、昨日大阪のいずみホールで聴いた東京混声のラフマニノフ「晩祷」。たしかに素晴らしいのですが、歌詞の分からない歌は、メロディーも記憶に残りませんね(;。;)

 

※※昔、「サユリスト」なる言葉がありました。熱烈な吉永さんのファンのことです。

そういう方がもしこのブログを見られたら、怒られそうなのですが、どうも吉永さんは歌のほうはあまりお得意でなかったように昔から思っているのですが、偏見でしょうか?

 

♪ 『第9』の季節ですが・・・

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佐渡裕「1万人の第九」

 

「1万人の第九」、一般参加中止 毎日放送が発表、コロナ再拡大で
 毎日放送大阪市)は24日、大阪城ホール(同市)で12月6日に開催する年末恒例の合唱コンサート「サントリー1万人の第九」を、一般参加の合唱者と観覧客を入れずに行うと発表した。新型コロナウイルスの感染再拡大を受けた措置で、プロの声楽家4人と合唱団約40人がオーケストラに合わせて歌う。

 例年、ベートーベンの交響曲第9番を1万人の参加者で合唱してきたが、コロナ禍で今年は1000人に絞って募集。その後、500人に減らすなどしたが、最終的に断念した。当日は、事前募集した「第九」の歌唱動画を会場で流して「合唱」するという。

2020.11.24 20:49 「サンケイスポーツ

 

昨年末に2回にわたって投稿したのが、「年の暮れはやっぱり『第9』?」という記事でした。
はやいもので1年が経とうとしています。
ご多分に漏れず、3月から所属する合唱団は活動休止!再開のめどはたっていません。

その代わりというのはおかしいのですが、1週間後に大阪に来演の東京混声の演奏会を偶然知って、チケットを2枚ゲット。昨年五月の神戸以来、一年半ぶりの日本最高峰のハーモニーが待ち遠しい今日この頃です。

 

さて、昨年12月31日の記事にこんなことを書きました。

  ※合唱団には、「第九」を何十回と歌ったという方が、結構いらっしゃいます。
私は、通算でわずか4回です。地元でも毎年募集がありますが、どうも正直、気乗りがしません。その理由については、いずれまた書きたいと思います。

 

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(4年前、市制10周年記念の第9演奏会、助っ人はいますが、オケもコーラスも人口四万の我が町のものです‼️)

※市長、市会議長、大学教授、神主さん、警察官、等々いろんな方がステージにいました😆

 

「第九」は素晴らしいけど、「正直言ってもういいかな😔」というその理由です。

同じようなことを考えている人が居ました。

(「第9」のテノールとバスではどちらが難しいか?という質問に)

 ベートーベン第九第4楽章の合唱は、素人にはむずかしい曲です。音自体はとても簡単なんですが、音域が歌い手に無理を強いる音域なので、発声自体が大変になります。
バスとテノールを比べてどちらがむずかしいか、ということもないと思いますよ。ただ、音域的に無理を強いられる率が高いのは、テノールの方かもしれません。
わたしは男性・男声ではないので、自分で歌って感じているのではありませんが、ソプラノもアルトもひどいもんです、音域が。「yahoo!智恵袋」

 ここにあるように、なんと言っても「音域」ですね。普通、アマチュア混声合唱では(プロ用の凝った難曲は別ですが)あり得ないような高さの音が要求されます。
私はバスパートですが、ファルセットでごまかすすべを知らないと、歌う方は喉を痛めつけ、聴く方はたぶん不愉快に感じることでしょう。
練習の休憩時間によく愚痴を言ってました。「ベートーベンは自分では歌ってないだろう!頭の中だけで作り上げた曲だ!!」


もう一つは、旋律の書き方がいかにも器楽的な点です。下の画像のような動きがその典型でしょうか。歌う側としては面白みに欠けます。

 

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それでも、今年は別として第9人気が我が国で衰えないのはなぜなんでしょうか?


クラシック音楽にはそれほど興味のない従兄に数年前尋ねられたことがありました。
そのとき、私がとっさに思いついたのは、「素人で『第9』を歌いたい人たちは、この曲を練習し、発表することで、日本人の大好きな『一体感』・『高揚感』・『達成感』を感じられるからだろう!」と返答しました。

 

全国何百万(?)かの「第9ファン」の皆様から、猛烈なブーイングの起きそうな暴論かもしれませんが、乏しい経験からではあるものの、そんな認識(偏見?)を持っております。
もちろん、このようなことを思っているからといって、何もこの曲の素晴らしさを疑うものでは決してありません。
マチュアでもある程度発声の訓練を積んだ合唱ならぜひ聴きたいものです。

 

本当に、来年の今頃はどんな状況になっているでしょうか!?

第9の練習は遅くとも夏頃から開始しますので、それまでに事態が好転していることを祈るばかりです🙏

今日、本屋で見つけ、早速買い求めました😄我が人生の応援歌 | 小学館


我が人生の応援歌 | 小学館

 

実は、私も今年自費出版の本を2冊amazonで販売しています。

kindleという電子書籍版とPOD(注文印刷)形式の紙の本です。

試しに、amazonのサイトで自分の名前を入れて検索すると、

「もしかして藤原正彦?」と出ます。

実は一字違いで大違い(?)の名前なものですから、それもやむをえないのではありますが・・・。

「正」を「重」に変えて検索すると、拙著が表示されます😀