歌:小川明子
「叱られて」 作詞:清水かつら、作曲:弘田龍太郎
大正9年(1920)4月に少女雑誌「少女号」に発表 2007年、文化庁と日本PTA全国協議会により「日本の歌百選」に選定。
一
叱られて 叱られて
あの子は町まで お使いに
この子は坊やを ねんねしな
夕べさみしい 村はずれ
こんと きつねが なきゃせぬか
二
叱られて 叱られて
口には出さねど 眼になみだ
二人のお里は あの山を
越えてあなた(彼方)の 花の村
ほんに花見は いつのこと
子どもの頃から幾度となく聴いているこの歌ですが、歌詞に切ないものを感じるからでしょうが、自分から口ずさんでみようとは思わない曲ではあります。
ただ、合唱曲としては、40年余り前に所属していた今は無き伊丹混声合唱団(現在、主要メンバーはアクア・ピュアという合唱団に)で歌ったことがありました。
たしか、法務省が毎年7月に行っている「社会を明るくする運動」のイヴェントだったと思いますが、これも今は無き伊丹市文化会館のステージで、林光「日本抒情歌曲集」に収められたこの曲を演奏したことがありました。
浄土真宗の僧侶でもある指揮者の井上一朗氏が、まだ30歳過ぎでしたが、この運動と関連付けた巧みな前説をされて、壇上でスタンバイしながら感心した記憶があります。
誰しも思うのは、歌の中の「あの子」と「この子」という「二人」はどういう境遇に置かれていて、誰に「叱られて」いるのだろうかということです。
一番の歌詞に「お使い」や「ねんねしな」の言葉があり、二番には「二人のお里」があることから、どうやら、この子達は親元を離れ、遠くの裕福な家に子守奉公に出されているのかなと気づかされはしますが、小説や何かでは知っているものの、ピンと来ないのも事実です。
作詞家清水かつらのことを調べると、必ずと言っていいほど、彼が幼い頃に母と生き別れたことに言及してあり、そのときの悲しさや辛さを、この歌で奉公へ出された子供の心境と重ね合わせたのではないとかという説明があります。
時代背景は曲のイメージは違うかも知れませんが、「五木の子守歌」や「竹田の子守歌」に共通するものを感じさせられます。
秋の夜長に、しみじみ聴くのはいいとしても、唄ってみようかという気にはならない歌ではあります。
清水かつらは、多くの童謡を作詞した童謡詩人です。明治31年7月に深川で生まれたかつらと和光市の接点は、かつらが小学6年のときに迎えた継母が、現在の和光市新倉の出身だったことでした。
青年期、かつらは小学新報社に就職し、少女雑誌の編集に携わります。このころからかつらは作詞をスタートし、「靴が鳴る」、「叱られて」、「雀の学校」などを次々と世に送り出しました。大正12年、父を亡くし、関東大震災で家まで失ったかつらは、継母や弟たちと現在の和光市新倉に避難してきます。その後、大正14年に白子界隈に転居し、昭和12年には新田坂にほど近い白子二丁目に転居しました。
戦後、かつらは白子川の風景をモチーフにした「みどりのそよ風」を作詞します。しかし、昭和26年7月、「酒が飲めなくなったら終りだ」という言葉を残して世を去りました。現在は東京都文京区本駒込の吉祥寺で永遠の眠りについています。 和光市デジタルミュージアム「和光市ゆかりの文化人」より
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