思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪蛍の光 窓の雪~ 「卒業式の歌」その1

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(「蛍の光」男声独唱 歌二郎さん)

 

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螢の光    作詞 稲垣千穎(いながき・ちかい)


螢の光、窓の雪、
書讀む月日、重ねつゝ、
何時しか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く。


止まるも行くも、限りとて、
(かたみ)に思ふ、千萬(ちよろず)の、
心の端を、一言に、
幸くと許(ばか)り、歌ふなり。


筑紫の極み、陸(みち)の奥、
海山遠く、隔つとも、
その真心は、隔て無く、
一つに盡くせ、國の為。

千島の奧も、沖繩も、
八洲(やしま)の内の、護りなり、
至らん國に、勳(いさお)しく、
努めよ我が兄、恙(つつが)無く。

明治14年11月24日発行の『小學唱歌集 初編』(文部省音楽取調掛編纂、高等師範学校附属音楽学校発行、大日本図書株式会社発売)

 

昔の人が、一月は「往ぬ」、二月は「逃げる」、三月は「去る」と言ったように、月日の経つのが年々早く感じられ、二月も残すところ1週間足らずになってしまいました。

 

現役の頃は、この時期、40代中頃ぐらいまでは国公立大学の2次試験の指導が大変でしたが、50代は卒業式に向けての準備に結構時間をとられていました。

というのも、2校で合わせて10年間務めた総務部長(名前だけはご大層ですが、要するに「アガリ」のポストです(笑))の仕事のうち、結構面倒で緊張を強いられるのが、この卒業式(とその準備)だったのです。

式の前日には予行をやるのですが、その中で式歌の練習があります。(指導はもちろん音楽の教員です)
幸いなことに、最後に勤めた学校は大きな声で歌ってくれましたが、その前に勤めた学校は「蚊の鳴くような」とまでは言いませんが、声が出なくて困ったものです。

 

さて、私の勤務した4つの県立高校(最初の市立高校は確かな記憶がありません)では卒業式には、卒業生「仰げば尊し」~在校生ほか蛍の光~全員「校歌」という順に斉唱していました。

ある年、2年の学年主任が「小中学校で『蛍の光』を歌ったことがない生徒がけっこういるから、歌詞のプリントを配ってほしい」と言ってきました。
これは意外でした。
老いも若きも、日本人なら誰でも『蛍の光』の歌詞ぐらい知っているはずだと思い込んでいたのですが、現実はそうではなかったようです。
(職業柄、歌詞の意味も説明したいところですが、限られた時間ですから、それは出来ませんでした。)

 

そんなこともあって、この曲に改めて興味をもち、YouTubeなどを見ていて、3番・4番まで歌詞があるのを知りました。
この3番・4番については、戦後世代のほとんどに知られていないのではないかと思います。


以下はあるブログからの引用です。

  「歌われない「蛍の光」の全4番の歌詞」

【3番の歌詞について】
3番の『筑紫のきわみ』や『陸奥の奥』は九州・東北をさす。具体的な地名というより、そういった地方も含めとおくにあっても、という表現であろう。『海山とおく、へだつとも』という表現は、陸地だけでなく海や山で隔たれた諸島である。『その真心はへだてなく』とは、まさに、皆で一緒に、という表現であろう。真心ということばも、へだてなくという言葉も、「日本全体で」という、作詞者の気持ちを表している気がする。
【4番の歌詞について】
4番は北海道、沖縄に触れる。ここで私の好きな表現は『八洲(やしま)のうちの、守りなり』である。日本と直接表現せず、古い言葉を用いている。
八洲(やしま)とは、日本の別表現である。本来は「多くの島からなる国」という意味らしいが、古事記では「本州・九州・四国・淡路・壱岐対馬隠岐佐渡などの「八つの島」の総称と言われ、古くから日本をさす表現の一つとして用いられている。「日本」と直接表現しないところに、日本らしさを感じる。(※ 「古事記」の考え方は非常に広いのでここでは一般的な見解で記述)
『つとめよわがせ、つつがなく』という、最後の句が、現在では物議を出すのであろうか。「つとめよ」は、努力せよ、である。「わがせ(我が背)」とは、女性が男性の背中に対し、「我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ」と励ます際に使っていた表現だそうである。女性たちが、男性たちを叱咤し、協力するような意味といえる。
   

さて、こうして3番・4番の歌詞をみてどう思うだろうか。その後この歌詞が使われなくなった歴史も含めて考えると、人によっては「祖国防衛を強要する軍国色が強い」と思うのだろう。今見ても、そう感じる人もいると思う。実際、領土の意識のための歌詞の変更が数回されている。
しかしそう思う人も、感情は抜いて歌詞そのものをもう一度見てほしい。そこには、当時の日本語の表現を巧みに使い、古事記までも使って、豊かに表現されている。また、いかにも日本的と言えるが、表現はすべて、日本と日本人の団結を願う内向きである。「敵」や「侵略者」という表現はまったくない。

「日本」を柔らかく表現しつつ「日本人」として、真心をもってへだてなく、男女一致して団結しよう、という、つつましくも自覚を促す、表現の歌と思う。

tetsu-log.com/012_hotaru.html

 

蛍の光」は、元の歌(スコットランド民謡「オールド・ラング・ザイン」、Auld Lang Syne   )との違いや、歌詞の問題等々、歴史的に様々な観点からの考察ができるようです。

ゆうに1冊の研究書が書けると思われます。

また、音楽的にも様々なバリエーションがあり、「蛍の光のすべて」というCDが出ているぐらいです。

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「三番、四番も歌い継いで」というのは、だれが考えても現実には無理な話ですが、歴史に関心のある人は、その存在ぐらいは覚えておいてもよいのではないでしょうか。

 

興味は尽きませんが、今回はこのあたりで・・・。