思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 仰げば尊し 「卒業式の歌」その2

https://www.youtube.com/watch?v=YhhDGKo2Siw&t=114s

(歌唱 立川澄人さん)

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新型コロナウイルスの影響で、今年は既に卒業式を終えた高校でも、ほとんどが規模を縮小したり、時間を短縮したりしたとか。

式歌(「蛍の光」「仰げば尊し」「校歌」など)斉唱もカットしたというニュースがあちこちで見られました。

 

さて、卒業式が一般的に今のような形式になったのは、明治30年(1900)前後だということです(有本真紀『卒業式の歴史学』)が、この「仰げば尊し」は、それよりも以前の明治17年(1885)に出版された『小学唱歌集(三)』に載っている曲です。

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文部省唱歌のほとんどがそうであるように、この曲も長らく作詞・作曲者ともに不詳とされてきました。

金田一春彦安西愛子編『日本の唱歌(上)明治編』(講談社文庫、1977年)では、そのあたりを次のように述べています。

 賛美歌の中にでもありそうな曲であるが、藤田圭雄氏は、曲の旋律が「ワガシノン」 というように、第1節の歌詞のアクセントに非常に忠実に作られているところから、日本人の作曲だろうとにらんでいるが、慧眼だと思う。作曲をもし伊沢修二・上真行・奥好義の三人のうちとするならば、東京式のアクセントで話していたと見られる伊沢の作であろうか。もっとも、この曲は、奥が作曲したという「天長節」の歌と似た点がある。

アクセント研究で知られる国語学者で、音楽にもたいへん造詣の深い金田一氏らしい解説文となっています。

 

ところが、この本が出版されてから34年後に「仰げば尊し」の原曲はアメリカにあったという研究結果がニュースになりました。

2011年1月に一橋大学名誉教授の桜井雅人、「Song for the Close of School」という楽曲が、1871年に米国で出版された楽譜『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』に収録されていることを突き止めた。その旋律やフェルマータの位置は「仰げば尊し」と同一であり、また同書が基本的に初出の歌曲のみを載せていたことから、この楽曲こそが原曲であると推測された(これ以外の収録歌集は現在知られていない)。同書は作曲者を「H. N. D.」、作詞者を「T. H. Brosnan」と記載している。作詞者のブロスナンはその後保険業界で活躍したことが知られているが、作曲者の「H. N. D.」についてはどのような人物であったかは定かではない。「H. N. D.」を『ソング・エコー』の編者ヘンリー・パーキンズ(Henry Southwick Perkins、1833-1914)とする仮説もあるが、確たる証拠はない。  (Wikipedia

 

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上の楽譜と見比べると、調は違うものの、フェルマーターの位置(伸ばすところ)は同じですね。

このように譜面は一緒なのですが、歌詞の内容には大きな違いがあります。

 

一                            
仰げば 尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月

今こそ 別れめ いざさらば

互に睦(むつみ)し 日ごろの恩
別るる後にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば


朝夕馴(な)れにし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる 間ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば
 (『小学唱歌集』(三)明治17年)

 

原曲「Song for the Close of School」の一番の歌詞
 We part today to meet, perchance, Till God shall call us home;
And from this room we wander forth, Alone, alone to roam.
And friends we've known in childhood's days May live but in the past,
But in the realms of light and love May we all meet at last.
 (私たちは今日別れ、まためぐり逢う、きっと、神が私たちをその御下へ招く時に。
そしてこの部屋から私たちは歩み出て、自らの足で一人さまよう。
幼年期から今日までを共にした友は、生き続けるだろう、過去の中で。
しかし、光と愛の御国で、最後には皆と再会できるだろう。)

 

文部省唱歌」となる過程で徳育的な内容(師への感謝、友情、立身出世など)にアレンジされています。

欧米の歌のメロディを拝借して、全然違う歌詞をつけるという、当時の唱歌によく見られる手法ですね🎵

 

歌詞が難しいですから、小学生の場合、よく意味も分からず歌っていたのかもしれません。

「我が師」を「和菓子」だと思っていたという笑い話もあるぐらいですから。

 

余談ですが、「仰げば尊し」の原曲「Song for the Close of School」が載っている『ソング・エコー』(1870年代にアメリカで出版された歌集)はGoogle BooksGoogle著作権の保護期間が満了した書籍を全文公開している)で発見されたということです。 

このあたりはいかにも今風です😀