思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「通りゃんせ」 歌詞の謎

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通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して くだしゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ

この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

『通りゃんせ』(とおりゃんせ)は、江戸時代に歌詞が成立したと見られる日本のわらべうた(童謡)。遊び歌として知られ、その遊戯もいう。
作詞者不明、本居長世編・作曲、あるいは、野口雨情作とも伝えられる。(Wikipedia

 先日の日曜日、2年余ぶりに旧友と三宮で会い、昼食を共にしながら、近況を語り合いました。

 駅前の横断歩道で聞こえてきたのは、「ピヨピヨ」という鳥の鳴き声の擬音で、ふと「昔は『通りゃんせ』がよく流れていたがな・・・」と調べてみたら、20年近く前から置き換えられているのだとか。
 「通りゃんせ」といえば、この歌にも歌詞によく意味のわからない部分があります。
ネットで「通りゃんせ」を調べようとすると、後に「意味」とか「怖い」などとくっついてくるので、世間にはやはり同じように思う人がたくさんいらっしゃるのでしょう。

 まず、なぜ門番は「御用のないもの 通しゃせぬ」と言うのでしょうか。
お宮に門番もちょっと気になりますが、何か事故があるか、または相当に混雑でもしていない限りは参詣者に対して、普通はそのようには言わないものでしょうに。
 また、これが一番の謎ですが、「行きはよいよい 帰りはこわい」
なぜ、「帰り(道)は怖い」のでしょうか。

 あれこれとネット検索の結果、「神奈川県小田原市南町の山角天神社、および同市国府津の菅原神社や、埼玉県川越市三芳野神社が舞台であるという説があり、共に発祥の碑がある」ということがわかりました。
 中でも、「埼玉県川越市三芳野神社」説というのに、説得力があるように思います。

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 童歌「とおりゃんせ」は三芳野神社の参道が舞台と言われています。

 川越城内にあったため、一般の人は許可がないと参拝できませんでした。たとえ参拝できたとしても、帰りには所持品を厳しく調べられたといわれており、その様子が歌われていると伝えられています。
 当時の川越は新河岸川の船運で江戸と結ばれていたため、江戸を通じて童歌が広まっていったといわれています。

https://kawagoe-blog.com/miyoshino-temple/#index_id2

 この神社が城内にあって、通行制限があったという点がポイントです。
 写真で見ると、参道もかなり長く、夕方には薄暗くなるように見えます。  
  というわけで、とりあえずは納得できました。

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 ただ、「そんな厳しいところへ参らなくても、他に自由にお参りできるところもあったろうに」などと言われると、反論はできませんが・・・・。

 

※ 「この歌詞の意味に神隠し伝説や人柱、埋蔵金伝説の関連付けをする人は多く」とか「被差別部落への一本道を意味しているとする説があるため、東京では放送できるが大阪では放送できず排除される形となっている」とか色々とあるようですが、興味本位の悪ノリというか、根も葉もな都市伝説と言うべきではないでしょうか。