思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 古関裕而「長崎の鐘」

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東京混声合唱団(立川澄人)

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長崎の鐘
サトウハチロー作詞・古関裕而作曲     昭和24年(1949)藤山一郎

こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
 うねりの波の 人の世に
 はかなく生きる 野の花よ
 なぐさめ はげまし 長崎の
 ああ 長崎の鐘が鳴る

召されて妻は 天国へ
別れてひとり 旅立ちぬ
 かたみに残る ロザリオの
鎖に白き わが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
 ああ 長崎の鐘が鳴る

 こころの罪を うちあけて
更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
なぐさめ はげまし 長崎の
 ああ 長崎の鐘が鳴る

 

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秋の取り入れも無事終わり、快晴の秋晴れの休日。
刈り取りの終わった田んぼや遠くの山々を眺めながら、ふと思い出したのは「こよなく晴れた青空を」で始まる、この「長崎の鐘という名曲でした。

放映の中断があってから、NHKの朝ドラ「エール」を観なくなってしまいましたが、
現在は、この「長崎の鐘」を書き上げて、話題は栄冠は君に輝くに移っているようです。

 

さて、この長崎の鐘については、このたびの朝ドラでより多くの方々がその歌の存在、素晴らしさを知ったのではないかと思われます。
私は、高校生の頃には知っていて、例のごとく風呂で練習(?)していたんではないかと思います。
たぶん、その頃はテレビで懐メロの番組が定期的にあって、それを観て聞き覚えたのではないのでしょうか。
なにせ、もう50年近くが経っていて、自信ありませんが・・・。

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(絵心のある方でもあったのですね!!)

もちろん、この歌と言えば藤山一郎さんの十八番で間違いないのですが、今回はあえて立川澄人さん(どうも別の人ではないかというコメントもありますが)東京混声の演奏をあげさせてもらいました。
他にもいろんな方がカバーされていますが、はっきり言って演歌系の歌手の方には似合いませんね。(正直言って聴きたくありません)
かといってテノールのMAさんは、ドラマチック過ぎて鼻につくし・・・・(😀)

 

この歌を注意して聴いていると、歌の途中(「なぐさめ はげまし~」)で転調があることに気がつきます。
これは、クラシック系のいわゆる芸術歌曲ではあるのかもしれませんが、こうした大衆音楽に属する歌曲では珍しいのではないでしょうか。

 

もう一つ、気になっていたのは藤山一郎さんが歌うときに、上記三番の後に、さらに転調して四番にあたる部分(「新しき朝の光のさしそむる/あれ野にひびけ長崎の鐘」)を歌っていることです。(カバーしている歌手には歌っていない人もいます)
 

実は、藤山一郎さんが病床の永井隆博士のもとを訪れた時に、博士からこの短歌を贈られて、藤山さんが後にメロディーをつけて歌うようになったというエピソードがあることを最近知りました。
YouTubeの視聴者の中には、オリジナリティーとか著作権とか言って、そのことを云々する向きもあるようですが、私はこの曲を締めくくるにふさわしい旋律だと思っています。

YouTubeでいろんな歌手の歌唱を聴いていて、気になったこと、それは「が」の発音です。

なまじ長らくコーラスをやっていると、こういうことが気になります。
さすがにほとんどの方は、「なさき」「鐘鳴る」の「が」を鼻濁音で歌っていますが、中には少数ですが、若いクラシック系でない歌手の方に、そうではない「が」があって、やはり気になりますね。

 

終わりにもう一つ。

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古関さんの関連の本が、朝ドラ人気から相次いで出版されました。
私は刑部芳則古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(中公新書、2019年11月)、辻田真佐憲『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』(文春新書、2020年3月)、菊池清麿『評伝 古関裕而』(彩流社、2012年)の3冊を買って読みました。
中でも、菊池さんのは375ページもの力作で読み応えがありました。
この「長崎の鐘」が藤山一郎さんによってレコードの録音がされた当日のエピソードがなかなか興味深いものでした。

吹き込み当日、藤山一郎は、高熱でとても歌える状態ではなかった。スタジオでは関係者が藤山一郎の歌を生で聴けるということでその期待感が溢れており、オーケストラもいつでも演奏できる用意が調っていた。意識が朦朧としながらも藤山一郎は録音マイクの前に立った。
藤山は「長崎の鐘」のようなクラシック歌曲の場合は、声量豊かに澄んだ透明感のある美しい音色で格調と気品をもって歌うが、この時は高熱に耐えながら情感の溢れる悲壮に満ちた歌い方だった。(中略)藤山は、感情移入しながらも声を張らずにファルセットにして切々と歌ったのだ、古関は藤山の絶唱に感動した。スタジオにいる関係者一同も同じだった。当初は再録音するという約束で藤山は吹き込みを了承したが、コロムビアのスタッフはこの悲壮感溢れる藤山一郎の歌唱にすっかり魅了され、そのまま発売した。

 この歌にまつわる話は、その他たくさんあるようで、ここには紹介しきれませんが、50年近く前に、きっかけは忘れましたが、偶然の出会いがあったことに感謝です。