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作詞:池田充男、作曲:鶴岡雅義、
唄:三条正人〈東京ロマンチカ〉 昭和42年(1967)9月
1 逢いたい気持ちが ままならぬ
北国の街は つめたく遠い
粉雪まい散る 小樽の駅に
ああ ひとり残して 来たけれど
忘れはしない 愛する人よ2 二人で歩いた 塩谷(しおや)の浜辺
偲(しの)べば懐かし 古代の文字よ
悲しい別れを ふたりで泣いた
ああ 白い小指の つめたさが
この手の中に いまでも残る3 小樽は寒かろ 東京も
こんなにしばれる 星空だから
語り明かした 吹雪の夜を
ああ 思い出してる 僕だから
かならずいくよ 待ってておくれ
待ってておくれ
前回は、小学生の心を捉えた歌謡浪曲の名曲を紹介しましたが、今回は小学校の終わりあたりから中学生にかけて(昭和42、3年頃)に流行したムード歌謡の1曲を取り上げました。
その頃、巷ではグループサウンズの爆発的流行がありました。若い人たちは、もちろんそちらになびいたわけですが、もう少し大人の年代が好んだのが、このムード歌謡というジャンルだったように思います。
鶴岡雅義と東京ロマンチカ、内山田 洋とクール・ファイブ、和田 弘とマヒナスターズ、
敏いとうとハッピー&ブルー、黒沢 明とロス・プリモスなどが、今でも記憶に残るグループ名です。
そんな中で、後によく宴席やスナック(懐かしい響き!)のカラオケでよく歌ったのが、この「小樽のひとよ」でした。
「小樽のひとよ」(おたるのひとよ)は、鶴岡雅義と東京ロマンチカの楽曲で、デビューシングルである。1967年9月25日に発売。累計売上は150万枚を超えた
作詞は池田充男、作曲はリーダーの鶴岡雅義である。北海道・小樽のご当地ソングでもある。ボーカルは三条正人であった。オリコンチャートにおいては、1968年5月にトップ10に初登場した。
歌詞にストーリー性があると思っていたら、やはり「曲は公演先の釧路で地元の女性と恋仲となった鶴岡雅義と東京ロマンチカメンバーの実体験を元に鶴岡がまず曲を書き」ということがあったみたいですね。
随所に地名などを織り込んだのは、小樽市サイドから「もっと観光PRを」との要請を受けたことがあったとか。
この歌は、もちろん歌詞、旋律ともに魅力的なのですが、髭のリーダー鶴岡雅義さんが弾くレキント・ギターの澄んだ音色が一度聴いたら忘れられない響きでした。
また、三条正人さんの美声(後年、ちょっと喉を痛められたのか苦しそうでしたが)のファルセットも印象的でしたね。
今改めて、楽譜を見ると歌い出しの「A」(低いラ)から最高音は「F」(高いファ)まで、甘い旋律ではありますが、歌いこなすには結構難しい形になっています。
1オクターブの(逢いたいきもちが ままならぬ)跳躍も練習が要りますし・・・
今の若い人には、どう思われるか分かりませんが、今聴いても50年以上前の歌という古くさい感じはしません。このジャンルの中で有数の、後世に歌い継がれる名曲ではないでしょうか。