思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」

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※このレコード家にあったような・・・

小学校3、4年生の頃から、歌謡曲に興味を持ち始めたことを、前々回に書きました。
「東京の灯よいつまでも」もその年代の子供には、ちょっと似合わない感じがしますが、もっと似合わない曲がありました。
それは、三波春夫さんが、前の東京オリンピックの年、昭和39年(1964)年に年末の紅白でも歌った俵星玄蕃でした。

 

この歌は、歌謡浪曲というジャンルに入るんだそうですが、明治37年生まれで若い頃から浪曲好きの祖父が、好んでテレビで視聴していました。
三世代が一家に一台のテレビを囲んでという時代で、もちろんチャンネル選択権は、家長にありましたから、ついつい孫も影響を受けてしまったのでしょう。

 

長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃
  作詞:北村桃児  作曲:長津義司

槍は錆びても 此の名は錆びぬ
男玄蕃の 心意気
赤穂浪士の かげとなり
尽す誠は 槍一筋に
香る誉れの 元禄桜

姿そば屋に やつしてまでも
忍ぶ杉野よ せつなかろ
今宵名残りに 見ておけよ
俵くずしの 極意の一手
これがはなむけ 男の心

涙をためて振り返える
そば屋の姿を呼びとめて
せめて名前を聞かせろよと 
口まで出たがそうじゃない

云わぬが花よ人生は 
逢うて別れるさだめとか
思い直して俵星
独りしみじみ呑みながら

時を過した真夜中に 
心隅田の川風を
流れてひびく勇ましさ
 
 一打ち二打ち三流れ
あれは確かに
確かにあれは
山鹿流儀の陣太鼓

時に元禄十五年十二月十四日
江戸の夜風をふるわせて
響くは山鹿流儀の陣太鼓
しかも一打ち二打ち三流れ

思わずハッと立上り
耳を澄ませて太鼓を数え
「おう、まさしく
赤穂浪士の討ち入りじゃ」

助太刀するは此の時ぞ、
もしやその中に
昼間別れたあのそば屋が
居りわせぬか

名前はなんと今一度
逢うて別れが告げたいものと、
けいこ襦袢(じゅばん)に身を固め、

段小倉(だんこくら)の袴
股立ち高く取り上げて
白綾(しらあや)畳んで後ろ鉢巻
眼(め)のつる如く

なげしに架かるは先祖伝来、
俵弾正鍛えたる
九尺の手槍を右の手に

切戸を開けて一足表に踏み出せば
天は幽暗(ゆうあん)
地は凱々(がいがい)たる
白雪(しらゆき)を
蹴立てて行手は松坂町

吉良の屋敷に来て見れば
今、討ち入りは真最中

総大将の内蔵之助
見つけて駆け寄る俵星が
天下無双のこの槍で
お助太刀をば致そうぞ

云われた時に大石は
深き御恩はこの通り
厚く御礼を申します

されども此処は此のままに
槍を納めてお引上げ
下さるならば有難し

かかる折しも一人の浪士が
雪をけたてて
サク、サク、サク、サク、サク、サク、

「先生」
「おうッ、そば屋か」

いや、いや、いや、いや
襟に書かれた名前こそ
まことは杉野の十兵次殿
わしが教えたあの極意

命惜しむな名をこそ惜しめ
立派な働き祈りますぞよ

さらばさらばと右左
赤穂浪士に邪魔する奴は
何人たりとも通さんぞ

橋のたもとで石突き突いて
槍の玄蕃は仁王立ち

打てや響けや 山鹿の太鼓
月も夜空に 冴え渡る
夢と聞きつつ 両国の
橋のたもとで 雪ふみしめた
槍に玄蕃の 涙が光る
 

俵星玄蕃が架空の人物と知ったのは、後に成人したからのことでしたが、小学生の頃から子供向けの赤穂義士とか勝海舟とかいう歴史物の本や伝記などを読んでいたので、こういう内容の曲に親しみを感じていたのかもしれません。

 

しかし、何よりも子供心に印象深かったのは、三波春夫さんの美声もさることながら、途中のセリフ(「時に元禄一五年十二月の十四日~」※上の歌詞では赤字で表記)の部分
でした!

覚えようと試みましたが、なかなか言葉が難しくて・・・

 

中でも、「雪を蹴立てて さく、さく、さく、さく、さく、さく」
のくだりと、「先生」「おうっ、そば屋か!」の箇所は、まさに三波春夫さんの真骨頂ともいうべきものでしたね。

 

長いこの曲は、「歌謡曲の部分」、「浪曲で啖呵というセリフの部分」、「浪曲のフシの部分」という構成になっているそうです。
「歌謡曲の部分」はなんとか歌えても、それ以外の部分は相当なのど自慢でも歌いこなすのは難しいことでしょう。

(この曲をカバーしている歌手を見ると、島津亜矢さんとか、三山ひろしさんとか、やはり歌唱力に定評のある歌い手ですね)

大人になってから聞いても、ストーリー性があるので、難解な言葉は意味不明なままではありますが、ついつい引き込まれてしまい、曲の長さ(8~9分とか)も気にならないほどです。

毎年、年末に義士祭が話題になると、この曲が思い出されてきます。

 

今思うと、どうも子どもの頃から、同世代が好んで聞くような歌よりも、大人の歌のほうに関心があったみたいで、基本的にはその後数十年変わってないようです(😀)

 

そうそう、忘れていました。私の好きな落語家の一人。落語協会会長の柳亭市馬師匠が余興でたまにこの歌を唄っています。

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