*写真はイメージです
■ 大阪万博に出演 50年前の今日
先日は、一つの曲の練習に明け暮れた高校2年の夏の思い出を書きました。
今日は、ちょうど50年前の今日、昭和45年(1970)8月23日に出演した「大阪万博」の思い出をとりとめもなく綴ってみたいと思います。
「万博に出演」というとご大層ですが、会場の隅にあった野外劇場において、連日のように小中学生を中心とした様々な音楽披露の場(「青少年広場」だったか?)が設けられていました。
小学生の鼓笛隊から中学生の吹奏楽まで色々とあったことが、いまネット上の検索結果によってうかがい知ることができます。
播州の片田舎(旧加東郡社町)の、しかもそれまでにコンクール実績のないような中学校の吹奏楽部に信じられないようなチャンスが与えられた背景には、JC(青年会議所)の推薦があったものと思われます。
(顧問のI先生のお父さんが隣町の町長をされていたことから、ご縁があったのではないでしょうか)
写真をアップするのは恥ずかしいのでやめますが、保護者会が考えたユニフォーム(男子)は白のベレー帽に、赤い蝶ネクタイ。白いズボンには赤の側線が付いていました。
前日に出発し、まだ中国道が出来てない頃ですから、国道176で三田から宝塚へ、さらに国道171へと地道を行き、青少年向けの宿舎で一泊。
翌日の本番は夕方からで、地元からは保護者を始め大応援団(?)が!!
部長だったので、朝日だったかのインタビューを受け、地域版に載った記憶もあります。考えてみると、後にも先にも唯一の経験でした。
■ 「フーテナニー」のこと
演奏曲目は、資料が残っていないのですが、たまたま保存していた定期演奏会(9日前に開催)のプログラムから、万博においても、マーチ「ナイルの守り」、「祝典行進曲」歌謡曲「黒ネコのタンゴ」「ブルーシャトー」などの後、最後の曲がこの「フーテナニー」だったと思います。
その頃は、意味もわからず、変な言葉だなという印象しかありませんでした。
このたび調べてみると「フォーク・シンガーが聴衆を参加させて行うコンサートで、非公式または即興で開かれるもの」という意味だそうです。
この曲にも「バンドのためのフォークソング・フェスティバル」という副題が付いていました。
アメリカ音楽の有名なメロディー(ジャズ、フォークソング、黒人霊歌など)を、 次々といろんなパートのソロ(正しくはSoliでしょうか)がスタンドプレーで盛り上げていくという手法です。
わたしたちトロンボーンは「Michael, Row the Boat Ashore」(こげよマイケル)でした。(今回初めて確認😀)
まさに、客席の手拍子と一体になって、場を盛り上げるに最適の曲ですが、
終盤になると、唇のほうがなかなかいうことを聞かず、音が割れるなどずいぶんと荒っぽく雑な演奏になったことでした。
そんなことで、50年前の夏も暑い練習の日々が続きました。(でも、35度以上などというのは聞いたことがありませんでした)
定期演奏会は市街地の外れにある小学校の体育館でした。もちろん冷房はありません。
音がするので、扇風機も置けませんし・・・。
夕涼みがてらに訪れた聴衆は、みな団扇や扇子でパタパタ扇ぎながら、中学生たちの演奏に聴き入る、そんな時代だったのです!!
※書きながら思い出しました。その夏、小学校の体育館に、朝比奈隆率いる大阪フィルがやってきました。狭いステージの前に卓球台を並べて、なんとか演奏できたのではなかったかと思います。
上で述べたように、冷房のない空間で、朝日奈さんは汗だくになり、「新世界」の途中でしたか、右手のハンカチで顔の汗を拭い、その間は左手の指揮棒が動いていたのを克明に覚えています。(当時62歳ー今の私よりはお若いですがー)まだまだ、ドサ回りといいますか、ご苦労されていたのですね。