思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪思い込んだら 試練の道を~「行け行け!飛雄馬」(アニメ『巨人の星』主題歌)

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「行け行け飛雄馬

歌/アンサンブル・ポッカ
作詞/東京ムービー企画部
作曲/渡辺岳夫


思いこんだら 試練の道を
行くが男の ど根性
真っ赤に燃える 王者のしるし
巨人の星を つかむまで
血の汗流せ 涙をふくな
行け行け飛雄馬 どんと行け



腕も折れよと 投げぬく闘志
熱球うなる ど根性
泥にまみれ マウント踏んで
勝利の凱歌を あげるまで
血の汗流せ 涙をふくな
行け行け飛雄馬 どんと行け



やるぞどこまでも 命をかけて
父ときたえた ど根性
でっかく生きろ 剛球燃えろ
男の誓いを 果たすまで
血の汗流せ 涙をふくな
行け行け飛雄馬 どんと行け

巨人の星』(通称「左腕編」)は1966年から1971年まで『週刊少年マガジン』に連載され、『週刊少年マガジン』連載直後にKC(講談社コミックス)全19巻で刊行された。KCスペシャル版と1995年の文庫版では全11集である。その続編『新巨人の星』は1976年から1979年まで『週刊読売』に連載された。『巨人の星』・『新〜』ともによみうりテレビ系でTVアニメ化され、アニメ映画も7作品が製作されている。

主人公の星飛雄馬は、かつて巨人軍の三塁手だった父・星一徹により幼年時から野球のための英才教育を施される。プロ野球読売ジャイアンツに入団後、ライバルの花形満や左門豊作やオズマらを相手に大リーグボールを武器に戦う。いわゆるスポ根野球漫画の走りともいえる作品。 (Wikipedia

 *小学校5年生あたりから、中学生頃にかけて熱心に観ていたテレビアニメのヒット作です。

50年以上たった今でも、何人かの登場人物の名前と顔は容易に思い出されます!

 

今回は、コーラスを始めたきっかけになった歌をご紹介します。

 

■ 入寮歓迎会での「巨人の星」がきっかけで・・・・

昭和53年(1978)、学校を卒業した私は伊丹市立伊丹高等学校に新採用となり、伊丹市の男子教員寮に入ることになりました。(阪急伊丹線の踏切に近く、一日中警報器がうるさいので、半年で退寮)
まもなく、寮の食堂で催された歓迎会で、新入りは皆何か一曲歌えということになり、今思うとなぜか分からないのですが、この巨人の星」の主題歌を歌いました。

その後、同じ階の近くの部屋にいた清水有作さんから、「伊丹混声合唱団に入っているんだけど、見学に来ないか?」と声をかけていただきました。

清水さんは小学校の先生でしたが、兵庫県立柏原高等学校でも、進学された高知大学でも混声合唱をやっておられ、よく響く典型的なバスのお声の持ち主でした。

 

私はというと、1月8日付けの記事に書いたように、合唱に興味を持ちながら、大学ではたった1週間しか練習に通わなかったような人間でした。

学科のコンパでは、当時はやった細川たかしの「♪わたし馬鹿よねー、お馬鹿さんよねー」 (「心のこり」)をよく歌っていた記憶はありますが、数年間はほとんど歌を忘れたような日々が続いていました。

(指導教官から「わたし馬鹿よね のフジワラくんだったね」と言われたことがありましたね(^▽^))

そういうわけで清水さんの紹介で、伊丹混声合唱団のテナーの一員となり、4年間週二回の練習に励みました(基礎ができてなくてテナーの高い音はしんどかったです)

 

■ その後の伊丹混声、清水さんのことなど

私は伊丹に4年いて、母校へ転勤したものですから、その後の伊丹混声のめざましい発展ぶりについては詳しくないのですが、ネットで調べると「全日本合唱コンクール全国大会」では平成10年(1998)には金賞を受賞されています。(20年前、私の在籍時は関西大会で奨励賞ぐらいだったでしょうか。)
  一般B/伊丹混声合唱団(混) [関西]
     豊中混声合唱団(混) [関西]
     大久保混声合唱団(混) [東京]
     合唱団ある(混) [中国]
     合唱団京都エコー(混) [関西]
     合唱団“まりもあ”(混) [中部] 
 豊混、大久保、京都エコーといえば、プロ顔負けの実力。一般の合唱団では最高レベルの団体です!? 

この頃には、指揮者が創設以来の井上一朗さんから清水さんに替わっていたのではないかと思います。
現在は、「アンサンブル アクア・ピュア」を主宰されています。
(団体の紹介文:2003年7月に解散しました伊丹混声合唱団の元団員20数名とその夏8月にベルギー、ルクセンブルク、北ドイツでの教会で歌いたいと集まった新メンバーが、伊丹混声の元指揮者清水有作氏の指導の下結成され、年1回の演奏会や伊丹市合唱祭・病院等での演奏会に活動しております。)

*「アクア・ピュア」(純粋な水→清水)
 

そういうわけで、「巨人の星」でなくても良かったのですが、(あの「わたし馬鹿よねー」はさすがにまずかったでしょうが・・・)あの教員寮に清水さんがいらっしゃらなければ、たぶん私は自ら進んで合唱団に入ることはなかったことでしょう。

その後、途中に25年の長いブランクはありましたが、トータルで17、8年は合唱に親しむ生活を送っています。

(今年は三月から八月まで、コロナで練習や演奏会が中止になっていますが・・・)

清水さんとは、40年近くお会いしていないのですが、私をコーラスの世界へと導いてくださった恩人です!

 毎年、定期演奏会の案内はいただきながら、農繁期と重なって行けてないので「今年こそは」と思っていたところが、このご時世・・・。

ぜひお会いして、お礼のご挨拶がしたいものだと思う今日この頃です。

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「アンサンブル アクア・ピュア」の3年前の写真(前列中央が清水さん)ですが、後列の男性数名のお名前は今も分かります。
自分が前期高齢者の仲間入りをしていますから、当時何歳か年上だったその方たちも70歳前後ということになりますね。