思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 「望春風」(台湾民謡)

www.youtube.com

(女性歌手)

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望春風 - Bing video

(オーケストラ)

 

 

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このブログでは、これまではタイトル通りに、私が子どもの頃からリアルタイムで聴いてきた色々な歌や楽曲にまつわる思い出などをつづってきましたが、今回は「初めて聴くのに懐かしい」歌をとりあげました。

 

出会いはYouTubeです。
童謡「夕焼け小焼け」のオーケストラ演奏動画(徳岡直樹さん指揮の台湾のオーケストラ)を見つけて何度か聴いているうちに、「あなたにオススメ」ということで、台湾音楽の動画が紹介されるようになりました。

その中の一曲が、この「望春風」だったのです。独唱、合唱、オーケストラ、さらには二胡など様々な演奏形態があることから、この曲が台湾ではいかに有名かがよくわかりました。

この曲、歌詞の方は当然さっぱり分からないのですが、メロディーが妙に印象深く、折りに触れて頭の中で、繰り返し甦ってきます。やはり、名曲の持つ不思議な力なのでしょうか。

 (気に入った一つのメロディーが繰り返し繰り返し頭の中で奏されるという現象?が吹奏楽で生徒指揮をやっていた高校時代によくありました。苦手な理数系の授業中に多かったようですが・・・笑)

 

今風の曲とは違い、大変にゆったりとした曲調で、甘くせつなく恋する女心を歌い上げたということで、時代を超えて歌い継がれているようです。

 

望春風 bang chhun hong (1933年) 

李臨秋 詞 鄧雨賢 曲 (台湾語
一、
tok ia bo-phoaN siu teng e chheng-hong tui bin chhoe
獨夜 無伴 守燈下    清風 對面 吹
chap-chhit poeh hoe be chhut-ke tng-tioh siau-lian-ke
十七、八歳   未出家    當著 少年家
ko-jian phiau-ti bin-bah peh siaN-ka lang chu-te 
果然 標緻  面肉 白  誰家人 子弟
siuN-beh mng i kiaN phaiN-se sim-lai toaN pi-pe
想要 問伊 驚歹勢   心内 弾 琵琶
ひとりぼっちの夜 灯りの下に佇めば
 清らかな風が 頬を撫でて行く
 年頃を迎えた私は 素敵な男性を見かけたの
 ハンサムで色白の彼 どちらの家の方でしょう
 声をかけてみたいけれど ドキドキしてちょっと怖い
 高鳴る胸は まるで琵琶の音色のよう
二、
siu-beh long-kun choe ang-sai i-ai chai sim-lai
想要 郎君 做翁婿   意愛在心内
tan-thai ho-si ku lai chhai chheng-chhun hoa tong-khai
等待 何時 君來採   青春花 當開
thiaN-kiN goa-bin u lang lai khui mng ka khoaN-mai
聴見外面 有人來  開門 該 看覓
geh-niu chhio gun gong toa tai ho' hong phian m chai
月娘 笑 阮 愚 大呆   被風 騙 不知
 彼と結ばれたいと願う気持ちはそっと胸に秘めるだけ
 あなたはいつ摘みに来てくれるのでしょう
 今まさに美しい花を咲かせているこの私を
 おもてに誰か来たみたい きっとあの人よ
 扉を開けてみるけれど おかしいわ 誰もいない
 風のいたずらとも気付かない お馬鹿さんねと
 お月様が笑ってる
     「真美的 台湾郷土歌謡」
    https://ameblo.jp/chinsuie-taiwan/entry-10012784407.html

 

例によってWikipediaで調べてみますと

『望春風』(ぼうしゅんぷう、バンチュンホン、台湾語白話字:Bāng Chhun-hong)は、1933年に発表された台湾の民謡。作詞者は李臨秋、作曲者は鄧雨賢で、日本統治時代の歌手・純々(劉清香)のヒット曲である。現在は台湾語歌謡のうち、『雨夜花』と並んで最も代表性のある名曲であると言われる。
1933年、『桃花泣血記』の大成功を受け、台湾語歌謡への意欲を示した台湾コロムビアの社長である柏野政次郎の手によって制作された。歌詞は少女が一目惚れした男性との恋愛に憧れる様子を描く。
1941年に台湾総督府の下で、志願制度の実施予定により、越路詩郎が作詞する軍歌・『大地は招く』(霧島昇歌唱)にも改編された。
戦後にはテレサ・テン、鳳飛々、張清芳、一青窈などの歌手によりカバーされた。

 作曲者の鄧雨賢については

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鄧 雨賢(とう うけん、Teng Yu-hsien、1906年7月21日 - 1944年6月11日)は、日本統治時代の台湾の作曲家。唐崎夜雨のペンネームでも活動し、後に東田暁雨という日本名に改名した。

桃園県龍潭郷出身。広東省嘉応州鎮平県(現在の梅州市蕉嶺県)から移住した客家人の子孫。父の鄧盛猶が台湾総督府から台北師範学校(現在の国立台北教育大学)の漢文教師に招かれたため、3歳で父に従って台北に移住。1914年、艋舺公学校に入学した。1921年、15歳の時に台北師範学校に入学し、オルガンやマンドリンなどの西洋楽器に接した。1925年に卒業後に、大稲埕の日新公学校に勤務するが、24歳の時に日本に渡って作曲を学んだ。

1930年に台湾に戻り、台中地方裁判所の通訳を務めた。1932年、文声曲盤公司というレコード会社に入社し、『大稻埕行進曲』を作曲した。翌年、コロムビアレコードに移籍し、『望春風』『月夜愁』などの歌曲を作曲した。

1937年、台湾総督に小林躋造が就任すると「皇民化」政策が推進され、漢文歌曲は禁止された。『望春風』『月夜愁』などの曲が軍歌に書き換えられ、鄧雨賢は大きなショックを受けた。1940年に台北を去り、新竹県芎林郷で小学校の教師をするようになった。その後、健康状態が徐々に悪化し、1944年に肺疾患と心疾患により死去した。

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台北市内に銅像が建てられています。

 

上の引用文には「24歳の時に日本に渡って作曲を学んだ」とあり、「鄧 雨賢」で検索すると、解説文の中には日本に留学して「東京音楽学院」で学んだというのと、中には「東京音楽学校」(東京芸大)でというのがありますが、詳細は不明です。

 

いずれにしても、冒頭のYouTube動画にあるように、たぶん何かのコンサートのアンコールだと思いますが、オーケストラ伴奏で会場の人たちが一斉に歌っているのを見ると、いわば国民的な名歌ということが言えるのではないでしょうか。

 

YouTubeではいろんな演奏パターンの動画があって、次々聴いていると、ますますこの旋律が耳に焼き付いてしまいそうです(笑)