思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

「冬景色」 ♪さ霧消ゆる 湊江の~

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さ霧消ゆる 湊江(みなとえ)の
舟に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして
いまだ覚めず 岸の家

烏(からす)啼(な)きて 木に高く
人は畑(はた)に 麦を踏む
げに小春日(こはるび)の のどけしや
かへり咲(ざき)の 花も見ゆ

嵐吹きて 雲は落ち
時雨(しぐれ)降りて 日は暮れぬ
若(も)し灯火(ともしび)の 漏れ来(こ)ずば
それと分かじ 野辺(のべ)の里


大正2年(1913)「尋常小学唱歌」第五学年に掲載された文部省唱歌です。

教科書の画像は母校、広島大学の「教科書コレクション画像データベース」より

 

暦の上では「大寒」が過ぎたばかりで、学校時代はこの時期、耐寒訓練だとかマラソン大会などをやったものでした。
ところが、今年は春先のような暖かさ。暖冬、暖冬と毎年のように言われていますが、
冬本来の寒さが逆に望まれるというのは、普通ではないですね。

冬の歌と言って思い出すのは、「たきび」「雪」「スキーの歌」(輝く日の影~)「スキー」(山は白銀~)「冬の星座」あたりですが、歌の好みから言うと、一番はやはり、この「冬景色」になります。

(厳密にいえば、真冬というよりも、「小春日」「返り咲き」「時雨」などから、晩秋から初冬というのが適切かもしれません)

文部省唱歌は原則的に、作詞・作曲ともに不詳とされることが多いのですが、ある本には歌詞の雰囲気から武島羽衣(唱歌「花」「美しき天然」の作詞で知られる)ではないかとする説が紹介されていました。

 

当時、小学校の先生用に教授書が出ていて、この歌については次のような記述がありました。

ト長調。4分の3拍子。4分音符単位で16小節になれる旋律。
語句の短いせいで音数は至って少なく、したがって寂しい感は起こるけれど、音程、音域ともにこの学年に少しも無理はなく、曲想またよく歌想をとらえて、一種の趣味を帯びる流暢な曲節である。この学年程度から申すと、おそらく本書中の佳作であろう。

 

田村虎蔵著 「尋常小学唱歌教授書 第五学年」(仮名遣、旧字体は改めています)

国立国会図書館デジタルコレクション参照

 さすがに、自ら『花咲爺(はなさかじじい)』『金太郎』『一寸法師(いっすんぼうし)』『浦島太郎』などを作曲し、大正時代の童謡歌曲の先駆となった人物の解説ですね。

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この五年生用の教科書の目次を見ると、「鯉のぼり」(甍の波と雲の波)「海」(松原遠く)ぐらいは、今でもよく聴くことがありますが、その他では「水師営の会見」(旅順開城約成りて)はまだしも、あとは知らない歌ばかりです。

曲の選び方をみると、歴史上の人物と戦争に関連する曲目が結構取り上げられています。

歴史、地理、道徳のお勉強も兼ねているといっても良いような選曲ではないでしょうか。

そもそも、「唱歌」という科目本来の性格づけに、そうした面があったのかもしれません。