思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪「龍谷大学歌」 山田耕筰 自信の校歌

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山田 耕筰(やまだ こうさく、1886年明治19年)6月9日 - 1965年(昭和40年)12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。山田 耕作としても知られる。

日本語の抑揚を活かしたメロディーで多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団レニングラードフィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的にも活動、欧米でも名前を知られた最初の日本人音楽家でもある。軍歌の作曲も多く手がけている。(ウイキペディアより)

■よく知られている歌曲、童謡

からたちの花(作詞:北原白秋
この道(作詞:北原白秋
かやの木山の(作詞:北原白秋

 

赤とんぼ(作詞:三木露風
砂山(作詞:北原白秋
ペチカ(作詞:北原白秋
待ちぼうけ(作詞:北原白秋
あわて床屋(作詞:北原白秋

1月4日の本ブログで、娘が出場した高校総文がきっかけで長崎県民歌 南の風」を知ったことをとり上げました。
息子のほうにも印象深い歌があります。
それは龍谷大学歌」で、今から10年前に龍谷大学社会学部)の入学式の、やはりBGMでした。(もちろん学歌斉唱もありました)

これを思い出したのは、年始にamazonプライムビデオで「この道」をレンタルして観たときでした。
山田耕筰作曲の名曲は数知れないわけですが、校歌(学歌)としての素晴らしさは、自他ともに認めるところであったようです。
 「龍谷大学校友会ホームページ」にも次のようにあります。

龍谷大学学歌は、1933(昭和8)年に学歌作製委員会(学生代表2名・大学院研究科代表2名・教授2名)が歌詞を公募し、作曲は当時世界的に有名であった山田耕筰氏に依頼しました。
山田耕筰氏は、「からたちの花」「この道」などが有名ですが、旧制大学の学歌も多く作曲しており、龍谷大の他、同志社大関西学院・関西大・一橋大(創立順)なども山田耕筰氏の作曲です。
山田耕筰氏は晩年に「自分は各地の校歌というものを随分沢山作曲(一説には3,000曲以上)しているが、その中で、心を込めて作り、自信のあるものが三つある。その一つが龍谷大学の学歌である」と語っておられたそうです。
(1960年頃 山崎昭見 元校友会長がご本人に直接伺う)

楽譜を確認したところ、1オクターブの跳躍が繰り返し出てきます。
また、最も高い音が、高いファ(F)となっています。元の調で正確に歌うとなると、ちょっとしんどいですが、躍動感とともに高揚感を感じさせる名曲ではないでしょうか。
 

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学校自体が、宗教系(浄土真宗)なので、歌詞はやはりそれなりに難解ですが、そうしたハンディ(?)を乗り越えて余りあるぐらいのメロディーだと思います。

 

 龍谷大学 学歌
    学歌作製委員会 作詞 / 山田耕筰 作曲


1.

永久に揺がぬ みのり聞き
寄する思想の 波しずめ
久遠(くおん)の光 まどかなる
真理の大樹(おおき) 栄(さか)ゆけば
見よ黎明(れいめい)の 空澄みて
吾等が学府 光輝あれ

2.

仰げば高き 雪山(せつせん)の
姿をうつす 御教(みおしえ)に
おもいをはせて たゆみなく
心をみがく 幾千の
同信の友 相集う
吾等が学府 光輝あれ

3.

 

世運の流れ 遷(うつ)るとも
正法萬古(しょうぼうばんこ) 変わりなし
公孫樹(いちょう)の蔭に法幢(ほうどう)を
真心こめて 守りゆく
若き学徒の 相集う
吾等が学府 光輝あれ

 

# つい、自分の出た大学の学歌(上にリンク)と比べてしまいますが、歌詞はともかくとして、旋律は比較になりませんね。