思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

♪ 長崎県民歌「南の風」

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正月の特番に、これといって見たいものもなく、気ままに「YouTube」サーフィンをしていました。
たまたま「南国情話」という歌を聴いていて、同じ若山彰さんとコロンビアローズさんが歌った上の曲を思い出しました。

7年前の夏になりますが、当時高校の放送部で活動していた娘が、長崎で開かれた全国高等学校総合文化祭の放送部門に出場したので、二泊三日で九州旅行も兼ねて家内と出かけました。
放送部門は諫早市の市民会館で開催されていたのですが、会場のBGMで流れていたのが、この曲でしたピアノと弦楽の演奏だったでしょうか。)
九州から帰った後も、そのメロディーが頭を離れずにいました。

後に長崎県民歌「南の風」だということが分かり、YouTubeで繰り返し聴いていました。

 

県民の歌といえば、長野県の「信濃の国が有名です。明治時代の歌ですが、今でも長野県民でこの歌を知らない人はいないとか。

東京などでの県人会では、皆で大合唱という光景が珍しくないということを聞いたことがあります。

 

その点、わが兵庫県はどうでしょうか。
調べてみると、終戦直後に作られてはいたそうですが、もう完全に存在が忘れられています。
その後、紙ふうせん「 ふるさと兵庫」サンテレビの県政広報番組『週刊ひょうご夢情報』主題歌として使用された紙ふうせんの楽曲。2006年(平成18年)にのじぎく兵庫国体開会式で演奏されて以降“事実上の県民歌”として扱われている。 )という歌が作られています。

確かに現代的なのには違いありませんが、失礼ながら、大勢で歌うようなタイプの曲の作りではないように思います。


ちなみに、若山彰さんといえば、あの映画『喜びも悲しみも幾歳月』(昭和32年・1957)の主題歌で大ヒットを飛ばした方です。

その後も、巨人軍の「闘魂こめて」、「阪神タイガースの歌(通称:六甲おろし)」などでも知られ、今もYouTubeなどでその張りのあるハイバリトンの美声を聴くことができます。

 

ご経歴を見ると、なんと私の大学の大先輩でした武蔵野ではなく広島ですが)

広島県で繊維問屋を営む家に生まれ、不自由なく育つ。幼少の頃より歌好きであったが、旧・広島文理科大学#在学中に出場した音楽コンクールで3位入賞を果たしたことで、本格的に歌の道を志し、武蔵野音楽学校へ入学し直す。

当初はオペラ歌手を目指していたが、在学中に伊藤久男の「イヨマンテの夜」のバックコーラスのアルバイトをしたことで流行歌の魅力にとりこになり、作曲家の米山正夫に師事。 大学卒業後の1951年、24歳で日本コロムビアから「星空」でデビュー。同年、久慈あさみ主演の新東宝映画「牝豹の地図」には流しの役で出演している。しかしヒット曲はなく、下積み生活を続ける。1953年には安藤まり子と結婚し、一女をもうけるも1956年に離婚。

1957年、映画『喜びも悲しみも幾歳月』の同名主題歌に抜擢、映画と共に主題歌も大ヒットし、一躍若山の名は知れ渡り、人気歌手の座を不動のものにした。この年から『NHK紅白歌合戦』に4回連続出場している。

(ウイキペディアより)

#古い名簿を見ると、広島臨時教員養成所(広島文理科大学に付設)物理・化学科の第5回(昭和22年・1947)卒業生でした。

 理科の先生を目指されていたようですが、一転して歌手の道へ進まれました。

昭和の歌謡史に残るすばらしい歌をいくつも歌われた方です。