思い出の中のあの歌この曲

メロディーとともによみがえるあの頃の・・・

1964東京オリンピック ファンファーレ その2

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自衛隊の音楽隊などが、古関さんの「オリンピックマーチ」を演奏するときに、まず、「ファンファーレ」を奏してから、引き続きマーチに入るという風にしていることがよくあります。

ところが、実際に演奏されたのは、下のように昭和天皇の開会宣言の後でした。

 

開会式の冒頭、①「オリンピック序曲」(作曲:團伊玖磨演奏。
各参加国の国旗が競技場の観客席の最後段にあるポールから掲揚。
電子音楽②「オリンピック・カンパノロジー」(作曲:黛敏郎が再生演奏[注 2]。
昭和天皇香淳皇后がロイヤルボックスに着席。日本国歌③「君が代演奏。
④入場行進曲「オリンピック・マーチ」(作曲:古関裕而演奏開始。
入場行進(「オリンピック・マーチ」は最初のギリシャから演奏され、途中は世界的に認知された行進曲のメドレーになり、順番の最後に近づいた米ソ各選手団が入場した時は再び「オリンピック・マーチ」に戻って、最後の開催国の日本選手団の入場が終了するまで)
昭和天皇開会宣言(午後2時58分)。
⑤ファンファーレ(作曲:今井光也)演奏
⑥「オリンピック賛歌」(作曲:スピロ・サマラ、訳詞:野上彰)合唱。
⑦「東京オリンピック賛歌」合唱。(作詞:佐藤春夫、作曲:清水脩
選手宣誓。(小野喬)
放鳩
日本国歌⑨「君が代斉唱
上空にブルーインパルスの五輪の輪を描く
昭和天皇香淳皇后がロイヤルボックスから退席。
選手団退場。

 その時の音源がありました。(冒頭のリンクから)

現代の演奏と比べると、心持ち「ゆっくりめ」に聞こえますが、いかがでしょうか。

 わずか8小節の短い曲ですが、多くの人々にとって忘れられない曲となった、その特徴はどこにあるのでしょうか?

残念ながら、私に分析能力はありませんので、引用で恐縮です。

東京オリンピック・ファンファーレは、冒頭のsus47の印象が強く残るため日本の陰旋律の雰囲気を感じるが、先の譜例に示したように単なる自然短音階である。 
 楽曲構成上は
  前半 sus47の分散上昇和音 二回
  後半 簡潔な三連符刻みの繰り返し
 という極めてシンプルな形である。
  和声的には、冒頭2小節はユニゾン、続く2小節で二声に別れ、次いで四声と次第に厚くなってゆくが、結びの和音は祝典音楽には珍しくFmという短和音であり、決して「華々しい響き」とは云えない。

 全体を通して発せられるのは「君が代」和声に通ずる高潔で荘厳な響きである。トランペット四声という最小限の構成と、わずか8小節という短い時間の中に、第二次大戦後の荒廃からオリンピックを開催するにまで復興した日本の多くの人々の想いを凝縮した、歴史に残る名曲であると思う。(ニッカン・ファンファーレ・トランペット 保存会)

そうです!高潔で荘厳」!!

この表現がぴったり当てはまりますね。 

 

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ニッカンのファンファーレトランペット

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陸自音楽隊のトランペット奏者30人で演奏したということです。(カッコイイですね!!)