増田幸治作詞(佐伯孝夫補詞)、吉田正作曲。
1943年(昭和18年)に陸軍上等兵として満州にいた吉田正が、現地で療養中に部隊の士気を上げるため作曲した「大興安嶺突破演習の歌」が原曲である。戦後、シベリアに抑留されていた兵士の間で歌われ、抑留兵のひとりだった増田幸治が作詞した。非常に強い望郷の思いを歌っている。原題は『昨日も今日も』である。
竹山逸郎、中村耕造の歌唱で、1948年(昭和23年)9月、ビクターレコードから発売された。
たぶん市内の図書館に行ったときだったでしょうか。広報誌や催し物のチラシが置いてあるところで、「吉田正記念オーケストラ」の公演チラシを見つけ、さっそく家内と二人分を買いに走りました。
まだ早かったのか、購入時点ではガラガラでしたが、当日(11月27日)はほぼ満席。しかも、自分も含めて9割方が前期及び後期の高齢者(笑)
この歌は、子どもの頃からテレビの懐メロ番組で聴いていて、「シベリア抑留」との関連もぼんやりと知ってはいました。
当日は、演奏の合間のトークが面白いことで知られる指揮者の大沢可直(よしなお)さんが、「北朝鮮の拉致被害者」と関連付けて、「日本人が忘れてはならない」歌だと言われたのが印象的でした。
YouTube動画では、大沢さんが客席に降りてきて、観客と共に歌っていらっしゃいますが、もちろん今は時節柄、「一緒に歌いましょう」とは言われませんでした。
それでも、私も含めて多くの方々が、マスクをしたまま口ずさんでいるのが、二番、三番と曲が進むにつれて、はっきりとわかりました。
おそらく80名を超える、フル編成に近いオーケストラに合わせて歌うなどとは、コーラスをやっていて「第9」を歌ったことのある人以外は、まずあり得ないことでしょう。 そういう意味でも、この「異国の丘」は、当日の多くの観客にとって忘れられない思い出の一曲とはなるのではないでしょうか。
吉田 正(よしだ ただし、1921年(大正10年)1月20日 - 1998年(平成10年)6月10日)は、茨城県日立市出身の国民歌謡作曲家。死後の1998年7月に国民栄誉賞受賞。位階は従四位。
生涯作曲数は2400曲を超える。都会的で哀愁漂うメロディーは都会調歌謡と称され、ムード歌謡から青春歌謡、リズム歌謡まで幅広く手掛けた。また、鶴田浩二、三浦洸一、フランク永井、松尾和子、橋幸夫、和田弘とマヒナスターズなど多くの歌手を育て上げた、第二次世界大戦後の日本歌謡史を代表する作曲家の一人である。(Wikipedia)
Wikipediaで、改めて調べてみると、私にとっては小学校に入る前あたりから、高校生あたりにかけての長い間、よくもこれだけのヒット曲が書けたものだというぐらい、後世に残る名曲を多く世に出しておられます。
菊池清麿『昭和演歌の歴史 その群像と時代』(アルファベータブックス、2016年)によると「都会派ムード歌謡」というのが、所属していたビクターレコードの「売り」だったということですが、下に挙げたような曲目は、題名を見ただけで今でもメロディーが浮かんでくるほど、素晴らしい歌ばかりでした。
コンサートの後も、夜の「YouTubeタイム」(?)には、動画を再生して余韻に浸っています。おかげで、イントロも間奏も覚えてしまいました。
たしか、今週末も東北のどこかの町で公演があったはずです。会場は高齢者の方々で埋め尽くされていることでしょう。
異国の丘(1948年/竹山逸郎・中村耕造)
落葉しぐれ(1953年/三浦洸一)
街のサンドイッチマン(1953年/鶴田浩二)
東京の人(1956年/三浦洸一)
好きだった(1956年/鶴田浩二、1959年/和田弘とマヒナスターズ - ハワイアン風に後年カバー)
有楽町で逢いましょう(1957年/フランク永井)
夜霧の第二国道(1957年/フランク永井)
泣かないで(1958年/和田弘とマヒナスターズ) - マヒナのオリジナル曲第1弾である。
好きな人(1958年/藤本二三代)
誰よりも君を愛す(1959年/松尾和子&和田弘とマヒナスターズ) ○第2回日本レコード大賞
潮来笠(1960年/橋幸夫) - 橋幸夫のデビュー曲。○第2回日本レコード大賞(新人賞)
再会(1960年/松尾和子)
江梨子(1962年/橋幸夫)
寒い朝(1962年/吉永小百合)
いつでも夢を(1962年/橋幸夫&吉永小百合) ○第4回日本レコード大賞
美しい十代(1963年/三田明)
あの娘と僕〜スイム・スイム・スイム(1965年/橋幸夫) ○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲)
おまえに(1966年/フランク永井)
恋のメキシカン・ロック(1967年/橋幸夫)
傷だらけの人生(1970年/鶴田浩二) ○第13回日本レコード大賞(大衆賞)
子連れ狼(1971年/橋幸夫) ○第14回日本レコード大賞(大衆賞)